校長講話

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【校長講話】令和7年度入学式 式辞

 地球温暖化の影響でここ数年、入学式の時期には、葉桜となっておりましたが、今年は、皆さんの入学を祝うように、満開の桜が新入生の皆さんを迎えております。本日、本校PTA会長 髙橋亜矢子様、本校卒業生でもあり、埼玉県議会議長 白戸幸仁様を始めとする4名の御来賓の方に御列席を賜り、また、多くの保護者の皆様に御参加いただき、本校第46回入学式を挙行できますことに、心より感謝申し上げます。

 只今、呼名された159名の新入生の皆さん、入学おめでとうございます。

入学にあたり、新たに高校生としての生活を送ろうとしている君たちに、チャレンジすることの大切さを、伊集院静さんが2012年4月に新社会人としてスタートを切る若者への激励メッセージとして贈った言葉を紹介します。

 

  落ちるリンゴを待つな。

 新社会人おめでとう。君は今どんな職場で出発の日を迎えただろうか。 

それがどんな仕事であれ、そこは君の人生の出発点になる。 

仕事とは何だろうか。君が生きている証しが仕事だと私は思う。 

大変なことがあった東北の地にも、今、リンゴの白い花が咲こうとしている。 

皆、新しい出発に歩もうとしている。 

君はリンゴの実がなる木を見たことがあるか。 

リンゴ園の老人が言うには、 

一番リンゴらしい時に木から取ってやるのが、大切なことだ。 

落ちてからではリンゴではなくなるそうだ。 

それは仕事にも置きかえられる。 

落ちるリンゴを待っていてはダメだ。 

木に登ってリンゴを取りに行こう。

そうして一番美味しいリンゴを皆に食べてもらおうじゃないか。 

一、二度、木から落ちてもなんてことはない。 

リンゴの花のあの白の美しさも果汁のあふれる美味しさも 

厳しい冬があったからできたのだ。 

風に向かえ。苦節に耐えろ。 

常に何かに挑む姿勢が、今、この国で大切なことだ。 

夕暮れ、ヒザ小僧をこすりつつ一杯やろうじゃないか。 

新社会人の君達に乾杯。

 

 最後の「乾杯」は高校への入学の君たちには相応しくないかもしれませんが、この「落ちるリンゴを待つな」という言葉の深さを感じ、様々なことにチャレンジし、当然、初めてのことにャレンジする訳ですから、失敗は付き物です。その失敗を創意工夫、努力し、成功へと近づけてください。君たちがこの庄和高校で、君たち自身の「リンゴ」を手にすることを期待しています。

 保護者の皆様、お子様の御入学おめでとうございます。数ある高校の中から、この庄和高校を選んでいただき、ありがとうございます。本日より、責任をもってお子様をお預かりいたします。そして、3年後には、庄和を選んでよかったとおっしゃっていただけるよう、お子様の指導、支援を行います。保護者の皆様におかれましては、力強い御支援、御協力をいただけますようお願い申し上げます。

 結びに、御列席の皆様方の益々の御健勝、御発展を御祈念申し上げるとともに、新入生の本校での活躍を祈念し、式辞といたします。

  令和7年4月8日

  埼玉県立庄和高等学校 校長 渡辺 秀行

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【校長講話】令和六年度修了式

先日の卒業証書授与式では、気持ちよく、そして温かく先輩たちの門出を祝福してくれました。皆さんの協力に感謝します。1年後、2年後には、今度は皆さんが後輩から祝福してもらう番になります。今日は年度末という区切りの日ですから、卒業までに是非もう一度見直してみてほしいこととして、社会人としての基礎、つまり土台を築き上げるうえで押さえるべき「基本」についてお話しします。

 

例を挙げて説明します。体力や健康、あるいは美容といえば、かなりの人が関心を持っていると思います。そこで、改善しよう、あるいは鍛えようと思ってトレーニングを始める人も多いと思います。そのときポイントとなるのは動きの意図を意識して正確に取り組むこと、これがここでの「基本」です。筋肉や関節、腱、あるいは腰などに必要な刺激を与えるための、一つ一つの動きを正確に、そして適切に負荷を掛けることが大切で、それが不正確であったり形だけだったりでは、期待する効果は決して得られません。「基本」に忠実に、そして継続しておこなうことで、はじめて期待する筋力のアップや姿勢の矯正、体幹の安定、身体のシェイプアップといった効果が生まれまることになる。何となくでもわかりますよね。

 

では、体育の授業。体操やスクワットなどの決まったメニューがあると思います。ここでも一つ一つの動きを正確に、そして適切に負荷を掛けているかが、やっただけの成果を生むか無駄に時間を浪費するかの分かれ道です。運動部の練習にも決まったメニューがあると思いますが、一つ一つのメニューにどのような場面を想定しているかとかどこを鍛える動きかといった意図がちゃんとあるはずです。その意図を意識してメニューをこなすことが大切です。いずれも、「基本」に忠実に行うか否かで、皆さんが身に付ける力に決定的な差が出ることになります。

 

それでは勉強はどうか。勉強ができるようになりたい、とは誰もが思っていることだと思います。だから、授業中真面目に授業を受けている。でも、生徒アンケートによると、授業以外での学習時間はゼロ、という人がかなりいるようです。だとすると、あまりにももったいないし、やり方として致命的なミスといってもいい。なぜなら、それでは勉強ができるように、わかるようには絶対にならないからです。授業中に真面目に取り組んで、一度はわかった、あるいは解けるようになったとします。でも、そのまま放置したら次の授業までにほぼ忘れてしまいます。記憶とはそういうものです。一度はわかった、解けた、覚えたとしても、その記憶は短期間で消えてしまう可能性が高いのです。だから、せっかくわかったその記憶を消さないための作業が必要になります。それが、復習といわれる作業です。そして、よりしっかり自分のものにしようとするには、定期的に復習する、つまりおさらいすることが必要になります。定期考査には、実はそのための仕掛けの意味合いもあります。定期考査前には、誰もが試験勉強をすると思いますが、日頃ちゃんと復習をしていれば、ある程度は記憶が残っていますから試験勉強もはかどります。そして、試験勉強が繰り返しの総復習の役割を果たしますから、記憶がしっかり定着して学習内容が自分のものになっていきます。ところが、日頃復習をしていないとほとんど内容を忘れてしまっていますから、試験勉強といいながら一から全てをやり直す作業になってしまいます。これではおさらいどころではありませんから、ひたすら覚えられる限りを暗記するしかなく、当然いい結果など期待できません。しかも、試験が終わればせっかく暗記したこともきれいさっぱり忘れてしまう。自分なりには頑張ったつもりなのに、何も自分のものにならない。これでは、もったいなさ過ぎます。

学習における「基本」は、一度学んだことをほったらかしにせず、その日のうちに復習、つまりおさらいする作業をおこなうことです。宿題があるときは、それをこなすことが復習という作業になっていたりしますが、復習のやり方がわからないという人は、すぐにでも教科ごとに担当の先生に教えてもらってください。

 

このように、スポーツでも学習でも何でも、ものごとのほとんどは一度やったくらいでは自分のものになどなりません。何度も反復しながら自分のものにしていくしかありません。「基本」に忠実に取り組む。できるところからでいいのでぜひ始めてみてください。そしてそれを継続させる。そうすれば、自分でも驚くほどの成果を、じきに実感できるようになると思います。

 

3年生の夏を過ぎると、卒業後の希望進路を実現するために多くの人が就職試験や入学試験で面接を受けることになると思います。面接の最大のポイントは、面接官に対して自分の思いを正しくしっかりと伝えることができるかどうかです。自分の思いを伝えるには、そもそもの大前提として伝える「思い」があることと、その思いを伝える力があること、その両方が必要です。「思い」とは、自分はどうしたいのか、どうなりたいのか、どうありたいのか、またそれはなぜなのか、といったものです。当然、自分の価値観、信念に基づいての「思い」であるはずですから、その人なりの価値観、信念がなければなりません。思いを伝える力は、対面で直接相手と意思疎通を図るということをたくさん経験する中で、徐々にその表現力が磨かれていきます。そのためには、常に自分の頭で考えること、そしていろいろな相手と積極的に対面でのコミュニケーションをとること、これがここでの「基本」といっていいと思います。この基本も大切に、今から繰り返し取り組んでみてほしいと思います。

 

来年度の自分の成長、変身を楽しみに、この休みを有意義に過ごしてください。

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【校長講話】第四十三回卒業証書授与式

正門横の梅の花も、満開を過ぎようとしています。やわらかな日差しに、いよいよ若い芽が膨らむ季節へと移ってまいりました。この春のよき日に、本校PTA会長様をはじめ、ご来賓の皆様と多数の保護者の皆様のご臨席を賜り、埼玉県立庄和高等学校 第四十三回卒業証書授与式をかくも盛大に挙行できますことに、深く感謝申し上げます。

 

172名の卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。卒業生並びに保護者の皆様に心よりお祝いを申し上げます。

皆さんが本校に入学した三年前は、新型コロナウイルス・パンデミックの影響が、まだまだ日々の生活に色濃く残っていました。体育祭は内容を縮小しての開催を余儀なくされ、文化祭も校内公開のみでの開催でした。それでも、皆さんが二年生になってからは、体育祭も従来と同じ規模で開催できるようになりましたし、文化祭にも一般のお客様をお迎えすることができるようになりました。秋には、一度は京を追われた足利尊氏が再上洛を果たしたルートをなぞるかのように、広島、神戸、京都を廻るという修学旅行で、魅力的で贅沢な四日間を仲間と共に満喫してもらうことができました。そして今年度。三年生となった皆さんは、それぞれの希望進路の実現に努力しながらも、最上級生として学校行事等で後輩たちに立派な範を示してくれました。特に、体育祭や文化祭では、それぞれが各々の役回りで大活躍する姿を見せてくれました。この三年間の高校生活には、皆さんそれぞれの様々なエピソードや思い出が詰まっていることでしょう。そんな皆さんも、今日でこの庄和高校を卒業し、次なるステージへと飛び立つことになります。

 

世の中は「激動の時代」です。変化が激しく、先行きが不確定で予測不能な社会です。日々の生活に直結する経済情勢の不透明感や、国のそして世界の安全保障に直結する国際情勢への危機感はもとより、気候変動をはじめとする自然環境の急激な変化への対応や、AIをはじめとするICT全盛時代における人間社会の在り方まで、様々な困難な課題を抱えた社会です。

 

そんな難しい世の中ではありますが、だからといって慌てたり焦ったりする必要はありません。皆さんにはこれからの長いキャリアの中で、じっくりと落ち着いて自分色に輝く人生を見つけていってもらいたいと願っています。そのための心構えとして、私からの最後のアドバイスを三つ送りたいと思います。

 

「激動の時代」だと、先ほど言いました。価値観の多様化した世の中です。多様な価値観を持つ人、集団、国家が、それぞれの価値観をただ主張して押し付けるだけでは、安心安全な社会の実現も、時代が求める新たなイノベーションを起こし得る社会の実現もありません。互いの主張にしっかり耳を傾け、率直な議論を尽くしてより良い合意点を見出していく、そんな地道な努力を重ねていくことが必要不可欠な時代です。皆が知恵を出し合い、多様な価値観を融合していかなければ、激動の時代には対応できない。それが、今の世の中です。

 

ところで、価値観とは世の中の事象に対する価値判断のこと、つまり人や組織が物事を判断するときの基準となる価値、正しいと信じている思い、信念といったものです。もし、この価値観を持っていないとしたらどうなるのでしょう。二十世紀の政治思想家であるハンナ・アーレントが、ヒットラーの登場を準備することになったヴァイマル期ドイツの大衆社会を分析した自身の著書で、次のようなことを述べているそうです。

 

ヴァイマル期ドイツの大衆社会における大衆は、何も信じていないから何でも信じてしまう。その一方で、騙されたと分かっても「そうだと思っていた」と言ってケロッとしている。

 

つまり、しっかりとした価値観を持っていないことで、プロパガンダをどんどん信じてしまう。そして、そもそも信念がないから騙されてもまったく平気でいるというのです。だとすると、例えば自己判断せずに多数派について勝ち馬に乗ろうとするような打算的で日和見的な空気感というのも、好ましくないばかりか、ときに大変危険であるということを認識しておかなければなりません。強調したいのは、自分なりの価値観をしっかり持つこと、そしてそれを信じるということが、何よりも大切であるということです。ですから、皆さんにまずは、こうなってほしい、こうあるべきだといった「思い」をしっかり持ってもらいたい。そして、その思いを持つためにも幅広い知識や感性を身に付けるという意味で、まずは気楽に幅広く本を読むことを強くお勧めします。さらに、「自分の頭で考える」ことを習慣づけること、「自分の頭で判断して行動する」ことが、何よりも大切だということを肝に銘じてもらえればと思います。それができないようでは、激動の時代には通用しないと心得ておきましょう。これが、一つ目のアドバイスです。

 

次に、タイパやコスパといった言葉が盛んに使われる状況についてです。今の世の中は、効率が優先され、無駄やリスクを回避するといった傾向が非常に強くなっています。その結果として、短期的な結果や目に見える成果ばかりが追い求められることになり、長期的な視野で物事を捉えたり考えたりすることは敬遠される傾向にあります。無駄になるかもしれないと思われることや寄り道、失敗、やり直しといったものは、ここでは悪者扱いです。

 

でも、冷静に考えてみてください。少なくとも、人が一人前に成長していく過程や有意義な人生を築いていこうとする営みに、マニュアルも近道もありません。時代が変わっても、その認識に変化はないはずです。十九世紀イギリスの歴史家にして批評家でもあるトーマス・カーライルは、「経験は最良の教師である。ただし授業料が高い!」という言葉を残しています。辛い経験、痛い経験、苦しい経験こそが、その人をたくましく育ててくれる最良の先生なのだというわけです。十七世紀の哲学者、フランシス・ベーコンも、「高みに上る人は、螺旋階段を使う」という言葉を残しています。人が成長する上でも、普遍的な価値ある成果を生み出す上でも、一直線に高みに上る道などはない。回り道や遠回りをしながらも、一歩一歩確実に螺旋階段を使って上っていってこそ、初めて高みにも上っていける、つまり成長していくことができるのだと言っているのです。

 

これから皆さんが更なる高みを目指して、社会で立派に活躍していくまでの道のりにおいて、効率ばかりを追い求めるなど愚かであるばかりでなく土台無理な話です。皆さんには、辛い、苦しい経験も、これから更に大きくたくましく成長する上では必要なことです。無駄や失敗、回り道を恐れてはいけません。やり直すことにも、来た道を戻ることにも、休んでみることにも、何ら負い目を感じる必要はないのです。様々な経験を積みながら、皆さん自身を磨いていってもらえればと思います。これが、二つ目のアドバイスです。

 

もう一つ。コロナ禍の影響が極めて大きいとはいえ、最近は対面でコミュニケーションをとる場面が減り、SNSを中心に文字での情報発信の占める割合が高くなっています。でも、まず皆さんにわかっておいてほしいのは、相手に気持ちを伝える、相手の気持ちを感じ取るというコミュニケーションが、人間にとっては根源的に大切なことだということです。対面でのコミュニケーションは、本来は言葉そのものだけではなくて、息遣いや声の強弱、身振りや手振りといったちょっとしたしぐさ、目線や表情など、全身での様々な表現を使ってなされます。もしそこで、互いの意思疎通が十分に図られなければ、健全で良好な関係は築くことも維持することもできません。ましてや、電話やS N Sのような声や文字だけ、つまり言葉だけでのコミュニケーションでは、対面と比べて意思疎通の難易度が格段に上がるということも認識しておかなければなりません。

 

ですから、コミュニケーションで相手に気持ちを伝えられるだけの表現力や感性、相手の気持ちをしっかり感じ取ることのできる力、読み取る力を将来にわたって磨き続けることが極めて重要です。まずは対面でのコミュニケーションを大切にして、それらの力をしっかりと磨いていってほしいと思います。これが、三つ目のアドバイスです。

 

最後になりますが、保護者の皆様におかれましては、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。重ねてお慶びを申し上げます。三年間の高校生活を全うし、心身ともに成長して社会に飛び立つ卒業生の皆さんの姿を前にして、とても頼もしく思います。

この三年間、本校教育活動に格別のご支援とご協力をいただき、誠にありがとうございました。至らぬ点やご心配をおかけしてしまった点もあったかと存じますが、暖かく見守っていただきましたことに心より感謝申し上げます。できますれば、今後とも庄和高校への変わらぬご支援を賜りますようお願い申し上げます。

 

結びに、第四十三回の卒業生全員が自分色に輝き、夢へと飛揚せんことを心より期待して、私の式辞といたします。

 

令和七年三月十一日

埼玉県立庄和高等学校長 水石明彦

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【校長講話】三学期始業式

三学期が始まりました。今年度もあと少し、三つの学年揃っての始業式は、今日が最後になります。この三学期というのは、今の学年を締めくくる仕上げの時期であるとともに、4月からの新たな環境への準備の時期という意味合いもあります。そこで今日は、三学期さらにはその先を見据えて、ある人物の言葉を紹介します。

 

その前に、まずは阪急電車の話から始めてみます。阪急電車といえば、神戸三宮と大阪梅田、そして京都四条、さらには宝塚などを結ぶ鉄道会社ですが、そのものずばり「阪急電車」というタイトルの小説があります。この小説は、宝塚駅と西宮北口駅間を15分ほどで結ぶ阪急今津線の車内やホーム、その沿線で繰り広げられる数々のエピソードで構成されています。2011年には映画にもなりましたので、見たことのある人もいるのではないかと思います。中谷美紀さんや戸田恵梨香さん、有村架純さん、子役時代の芦田茉奈さん、さらには宮本信子さんといった俳優さんたちによって、沿線でのエピソードが綴られています。

 

その阪急電車ですが、20世紀の初めに鉄道開設が計画された段階では、まだまだ沿線には住民が少なく、利用者が見込めるような状況ではなかったそうです。でも、そこから先を見据えた様々なアイデアを駆使して、数々の事業を実現させていくことで利用者を獲得し、後に小説や映画にまでなるような素敵で活気ある鉄道路線へとなっていきます。そのときの利用者獲得のアイデアが、独創的かつ画期的な凄いものでした。たとえば、鉄道沿線の住宅開発を鉄道開設と同時に進めることで乗客を増やし、郊外の住宅から電車で通勤するというライフスタイルを世の中に定着させていきます。また、郊外にある宝塚に宝塚歌劇団をつくり、都心部にある梅田には世界初の駅直結のターミナルデパート阪急百貨店をつくります。それらによって、沿線の住民が通勤での利用客としてだけでなく、買い物やレジャー目的の利用客としても阪急電車を利用するというスタイルをつくってしまいます。つまり、今から100年も前に、後に他の私鉄がこぞって真似するような私鉄経営のビジネスモデルを創り、同時に今に繋がる日本人のライフスタイルまでも創ってしまったわけです。そんな画期的なアイデアで、阪急電車を一流の鉄道会社へと成長させていった凄い人物が、創業者の小林一三という人です。

 

その小林一三が語ったとされる言葉を、今日は紹介します。

 

「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら誰も君を下足番にしておかぬ。」

 

昔は客のはきものを出し入れする下足番という仕事があったそうですが、誰もが望んでやりたい仕事とはいえないものだったのでしょう。そんな仕事でも、与えられた仕事にベストを尽くしていれば、平凡なことでも完璧にやり遂げていれば、そのうち信頼されるようになって周りが放っておかなくなる。そんな意味でしょう。

 

関連して、これから社会に出ていく学生たちへはこうアドバイスしたそうです。

 

「必要な人になることが肝要で、どっちでもいいと云ふ人間になっては駄目だ。」

 

社会では第一段階の「便利な人」、第二段階の「必要な人」、第三段階の「特色ある人」とステップアップしていくと小林一三は考えていたようで、まずは第二段階の「必要な人」になることが重要だと説いたわけです。ここで言う「便利な人」とは、常識的で誠実に仕事をする人のことで、こういう人がいてこそ会社はまわっていくのだが、良く言えば真面目でも、悪く言えば平凡な人である。それに対して「必要な人」とは、自分の持つスキルや知識を周囲の人たちに役立ててもらえる人で、その分野のことならこの人に聞けばわかると言われるような人である。まずは、そのような人になりなさいとアドバイスしたわけです。

 

一つの仕事にベストを尽くす。そうして、その道のエキスパートになる。ある一つのことに対してその人でなければならない人間になる。そうすれば、周りがあなたを認め、信頼するようになる。周りがあなたを放っておかなくなる。そうアドバイスしているのだと思います。

 

この三学期、さらには4月からの新年度で、やるべきこと、与えられた仕事、やると決めたことに、とにかく全力を尽くし、完璧にやり遂げてみせる。その心意気を持って、日々の生活に臨んでみてもらえればと思います。

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【校長講話】二学期終業式

今年も様々な話題がありましたが、その中でテレビのワイドショーが最も長時間扱った話題といえば、多分大谷翔平選手ではないかと思います。加えて所属するメジャーリーグの名門ドジャースの話題も数多く取り上げられていました。それほど、大谷選手の今季の活躍は圧倒的でした。

そこで、今日は「ドジャース」の話から始めようと思います。

 

ドジャースといえば、もともとはニューヨークのブルックリンにあった球団ですが、まだ黒人差別が当たり前の時代にメジャーリーグで初めて黒人選手と契約したチームとして知られています。当時のオーナーは、「人は全て平等であるべき」でメジャーリーグから世の中を変えていくと決意していたといわれます。そして、1947年4月15日に初の黒人選手がドジャースでメジャーリーグデビューを果たしますが、その選手こそジャッキー・ロビンソン選手です。ただ、デビュー後しばらくは観客から汚いヤジが飛び、新聞にも非難記事が飛び交っていたそうです。でも、そんなロビンソン選手をチームメートが支え続けます。そして、チーム一番といえる守備とバッティングで活躍する姿に観客の反応も徐々に変化していきます。そして、チームも1955年に初のワールドシリーズ優勝を成し遂げます。

ところで、人種差別の激しい世の中にあって、チームメートや観客はなぜロビンソン選手を受け入れられたのでしょう。それは、誰が打ってもホームランはホームランというように、ルールが平等に適用されるベースボールの世界だからこそではないか。そう指摘されています。

現在、メジャーリーグ全球団がロビンソン選手の功績を称え、その背番号42はすべての球団が永久欠番としています。また、毎年4月15日は「ジャッキー・ロビンソンデー」として、メジャーリーグ全選手が背番号42をつけてプレーする日になっています。

ドジャースの現在の本拠地はご存じLA(ロサンゼルス)ですが、人口1000万人の西海岸最大にして移民の多い街の球団として、観客や地域コミュニティとつながることが社会的責任であり義務であるとして、様々な地域貢献事業を展開しているそうです。

 

さて、なぜジャッキー・ロビンソン選手は受け入れられたのか、メジャーリーグ・ベースボールはなぜこのような改革ができたのかについて、今一度おさらいしてみます。

その答えは、野球、スポーツにはルールがあるからである。選手はみんな、野球のルールに納得してプレーします。そこに一つの規範があるわけです。だからその規範の下でなら、みんなが繋がれるということです。この点で、スポーツは社会より先を行っているわけです。ルールがあるから、普段はなかなか理解し合えない人とも理解し合えるようになる。そういうことです。そう考えるとルールとは素晴らしいものだし、ルールはとても大事だということがわかります。

世の中、社会にも守るべきマナーがありルールがあります。人は誰でも自分の思うようにやりたいし、身勝手なところも持っています。文化や習慣、宗教などが異なれば、考え方も様々です。でも、もしもそれぞれが自分の都合だけで動いたり、身勝手に自分の主義主張ばかりを押し通していては、社会は秩序が壊れてとんでもない状況になってしまう。だから、人間社会においてはルールやマナーといったものが必要で、それにより安心して生活できる秩序が維持されているわけです。互いを認め、信頼し、みんなが居心地の良い生活を送るための知恵と言ってもいいかもしれません。現代は多様性ある社会の実現を目指している、となればなおさらです。

 

年の瀬にあたり、今日は選手がルールを納得してプレーするスポーツの素晴らしさから、人間社会におけるルール、マナーの大事さについて話をしました。社会を構成する一員として、みんなが居心地良く生活できる社会について、考えてみてもらえればと思います。

年末年始には、それぞれに楽しみなイベントが待っていることと思います。健康管理にはくれぐれも注意して、元気で新年をお迎えください。

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【校長講話】二学期始業式

この夏は、パリ・オリンピックに熱狂した人も多かったのではないでしょうか。日本選手も大活躍でした。普段目にする機会の少ない競技にもスポットが当たり、それぞれの競技の凄さ、面白さ、そしてスポーツのすばらしさを存分に味わうことができて、しかも4年に一度しか開催されない。それがオリンピックです。皆さんそれぞれに記憶に残る名場面が数々あったと思いますが、個人的には、男子棒高跳び決勝でのデュプランティス選手の世界新記録更新となる6m25cmの大跳躍と、男子バスケットボール決勝の第4クォーター残り3分を切ってからのステファン・カリー選手の4連続3ポイント・ショットには、心底驚嘆しました。

今はまた、パリ・パラリンピックに熱い視線と声援を送っていることと思いますが、そんな熱い毎日の中、今日から2学期がスタートします。

 

今日は、コミュニケーションについて話をしてみます。6月に放送されたNHK Eテレの「スイッチインタビュー」という番組に、女優の上白石萌音さんが登場していました。言語学に興味があるいう上白石さんの希望で、言語学者で慶應義塾大学教授の川原繁人さんとの対談が実現したそうで、とても興味深い会話が展開されていました。例えば、こんな感じのやり取りがありました。

 

 

○ 生活していると、気持ちが言葉を追い越すことがある。「あーっ!」とか、本当に体が先に動くし、その延長線上に歌と踊りがあるような気がする。しゃべるときより歌うときの方が息が多いが、その息で伝えられることはすごくたくさんあると思う。「苦しくて吸う息」と「うれしくて吸う息」では音としても違うし、そういうものを聞いたときにドキッとする。

 

● 私のあまり好きじゃない言葉に、「語彙力足りない」というのがある。感動したときに「やばい!」というのを、「それは語彙力足りない」と批判する人もいるが、冷静に「これこれこういうことで、こういうふうになってこう感動しました」と言語化する前の、あの感情を否定するのもどうかと思う。

 

○ 「やばい!」ってすごく面白い言葉で、あれほど正確に感情を伝えられる言葉もないかもしれない。『千と千尋』のクリエイティブチームの外国人の方に、「なんか面白い日本語ない?」と言われて、「“やばい!”って便利な言葉がある」、「いつでも気持ちさえ乗せれば伝わるよ!」と教えた。小さい子どもは持っている言葉はすごく少ないが、びっくりする感情表現をする。大人になるとそこが不自由になってしまう。だから言葉にできない気持ちもすごく尊いし、それを何とか言葉にしようとするのも、すごく素敵なことだと思う。

 

● 伸ばすべきは語彙力じゃなくて、表現力。

 

○ 表現力と感性。感じる気持ち。

 

● 読み取る力。だから息遣いだけからもいろんなことが読み取れるし、息遣いだけでも伝えられることがある。

 

 

コロナ禍の影響は極めて大きいとはいえ、最近は対面でコミュニケーションをとる場面が減ってきてしまっています。その逆に、SNSを中心に文字での情報発信の占める割合が高くなっている。

 

でも、上白石さんと川原さんの対談にあるように、相手に気持ちを伝える、相手の気持ちを感じるというコミュニケーションは、本来は言葉そのものだけではなくて、息遣いや声の強弱、身振りや手振りといったちょっとしたしぐさ、目線や表情など、全身での様々な表現を使ってなされるものです。互いの意思疎通が十分に図られないと、健全で良好な関係はつくれないし維持できませんから、このことは人間にとっては根源的に大切なことです。その意味で、相手に気持ちを伝えられるだけの表現力や感性、相手の気持ちをしっかり感じ取ることのできる力、読み取る力はものすごく重要で、将来にわたって磨き続けていかなければならないというのは、まさにその通りだと思います。

 

ただ、わかると思いますが、今挙げたようなことは、対面だからこそ感じたりわかったりできる要素がたくさん含まれています。それだけ、対面でのコミュニケーションが重要だということです。ですから、対面での機会をぜひ大切にしてみてほしいし、SNS等で文字だけで情報を発信するときには、文字だけで伝えたい気持ちが誤解されずにちゃんと伝わるかどうかに、十分気を付けて発信する必要があるということも、改めて認識しておいてもらえればと思います。

 

コミュニケーションにおいて、相手に気持ちを伝える、相手の気持ちを感じるという意識なくしては、良好な人間関係など成立し得ません。そのことを改めて再確認してもらいたいと思い、今日は上白石さんと川原さんの対談を話題にしてみました。幸い皆さんは今高校生です。日々常に様々な仲間とともに高校生活を過ごしています。対面でのコミュニケーションスキルを磨くには、まさに申し分のない環境です。この貴重な環境をもっと積極的に活用して、この庄和高校での生活をより充実させてみてください。

 

気温や湿度が高いなかでの活動は、思った以上に体力を奪うし、疲労を蓄積させることになります。若さを過信することなく、引き続き体調管理には十分留意してください。

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【校長講話】一学期終業式

今日は、今学期あった個人的に印象的だった出来事の話から始めてみます。といっても、校内の話ではありません。朝の通勤途中、路肩が狭く車が対向車とすれ違うのがやっとといった直線道路を歩いていたときのことです。前から高校生が歩いてきましたが、その高校生が10m弱まで近づいたあたりで進路をほんの気持ち車道側へと変える動きを見せました。印象的な出来事とはそれだけのことなのですが、それを見たとき、思わず「やるな」と感心し、同時にその高校生に親近感を覚えました。どういうことかわかるでしょうか。

 

このときの高校生の心理は多分こうです。その高校生は狭い路肩を歩いていますから、前方から人が来ればそのままでだとぶつかる状況だと即座に認識していたはずです。そこで、前方から来た人、つまり私の後方からは車が来ていないことを目視で確認し、自分の後方から車が近づいてくる気配がないことは耳で確認し、万が一、自分の後方から急に車が近づいてきたとしても、対向車がないのだから車は歩行者を回避して走行していくはずだとの判断のもと、自分が車道側に進路をずらして私に路肩側の進路を空けてくれたのでしょう。それがわかったから、思わず「やるな」と感心したわけです。

 

このような行動自体は、本来は特別なことでも大したことではありません。生物の危険回避行動としては、極々当たり前の動きです。でも、その当たり前は、移動中つねに持てる感覚を研ぎ澄し、状況を即座に把握し、的確に判断してこそとれる行動ですし、自分の身の安全を守るために、日常の移動中でも感覚と頭をしっかり使える状態にしておくことは、生物としての基本中の基本です。ところが、我々人間はそこが少々怪しくなってきてはいないでしょうか。便利な世の中になり、安全な環境に慣れてしまったためなのか、移動中に持てる感覚を使える状態にしていない人が増えているのではないかと懸念しています。傘で前方の視界を遮ったまま、平気で歩いていく人がたまにいます。ノイズキャンセリング機能のついたイヤフォンをして、歩いている人もいます。「歩きスマホ」に至っては、駅構内で注意喚起のアナウンスが頻繁に流れるほどです。移動中に視覚や聴覚などを制限すれば、身の回りの情報を十分収集できず、いざという時の危険回避行動がとれなくなってしまいます。

 

加えて、自転車やバイク、車での移動について。これらでの移動は、人本来の能力を超えた高速移動を可能にしますが、人はそんなスピードに対応できる身体機能は備えてはいません。もしも、高速移動中に衝突などの事故に遭遇すれば、人の身体は耐えられない。ですから、高速での移動は、普段以上に危険回避に敏感かつ慎重でなければなりません。でも、ここでも慣れとは恐ろしいもので、人はそんな危険性を忘れてしまいがちです。

皆さんには、夏休みを前に自分の身の安全を守るための危険回避について、しっかり再確認をしてみてほしいと思います。

 

ついでにもう一つ。先ほどの高校生のような人物に出会うと、親しみや心地よさを覚えたりするのはなぜか。多分、人間は他者との関わりの中で元気や勇気をもらったりするし、他者の存在があってこそ生きていける。つまり、ひとりで生きてはいけない生物だからではないかと思います。たかだか他人とすれ違うだけでも、相手の存在を認識して、互いに気持ちよくすれ違えるよう互いが配慮する。そんな互いの意識が感じ取れたなら、それはもう立派なコミュニケーションの成立です。だから、人は心地よくなるし、親近感を覚えたりする。そういうことなのではないでしょうか。

 

別の例で、青信号で横断歩道を渡るとき、もしも右折あるいは左折して自分に近づいてくる車があったら、そのドライバーの目を見て、こちらの存在を認識しているかを確認してみてください。そして、もしも認識していないようなら、危険ですから即座に止まるなどの危険回避行動をとらなければなりません。一方、自分の存在をちゃんと認識しているとわかれば、安心して気持ちよく横断することができます。こんな些細な場面も、歩行者とドライバーのちょっとしたコミュニケーション成立の機会になり得るのだと思います。

 

明日から長い夏休みです。梅雨も明け、昨年同様かそれ以上の酷暑が予想されます。くれぐれも、まずは体調管理、そして危険回避の意識を忘れずに、有意義な夏休みを過ごしてください。

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【校長講話】令和六年度入学式

待ちに待った桜の花もついに満開となり、若い命が躍動する春がめぐってまいりました。春本番を迎えたこの佳き日に、本校同窓会長様をはじめ、ご来賓の皆様、並びに保護者の皆様のご臨席を賜り、令和六年度埼玉県立庄和高等学校入学式をかくも盛大に挙行できますことは、本校関係者一同の大きな喜びでございます。ご臨席をいただきました皆様に、厚く御礼申し上げます。

 

ただいま入学を許可しました158名の新入生の皆さん、入学おめでとうございます。保護者の皆様にも、今日の日を迎えられたことに心よりお慶びを申し上げます。皆さんは、今日から庄和高校の第四十五期生です。在校生、教職員を代表して、皆さんの入学を心より歓迎いたします。

 

本校は旧庄和町唯一の県立高校として、昭和五十五年に開校いたしました。以来、「夢 飛揚」の校訓のもと、自分色に輝き、社会で活躍できる人材の育成を目指して、地域の皆様に愛され信頼される学校へと成長を遂げてまいりました。新入生の皆さんにも、そんな本校でぜひ明るく活気ある高校生活を送ってもらうとともに、本校の歴史と伝統に新たな一ページを加えてもらえることを期待します。

 

皆さんはこの庄和高校を自らの意志で志望し、入学者選抜を見事に突破して、晴れて入学の日を迎えました。中学校までとは違い、自分で選んだ学校に今日から通うことになります。そんな皆さんだからこそ、本校での高校生活をより有意義なものにしてほしい。そのためにも、高校生活で思い切り「楽しむ」ことを目指してほしい。そう願っています。ただ、この「楽しむ」は、ただ楽しかった、というのとは違います。楽しい思いをさせてもらったとか、いい思いをした、面白かったとかということではありません。受け身ではなく、自分でやると決意して、本気で取り組んでみる。そうする先で得られるかもしれない、「楽しむ」です。「楽しむ」については、「論語」にこういう言葉があります。

 

「子曰く、之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。」

 

ものごとに対してただ知識をもっていても、それを好む者にはかなわない。好む者はそれを楽しむ者にはかなわない、といった意味になりますが、もう少し詳しく見てみましょう。まず、「知る」という段階では、自分と対象は離れていて客観的に把握しようとしています。つまり、単なる知識の獲得を意味します。やろうという自分の意志も、やりたいという感情などなくても、やれと言われたからとか、やらないと困るからとかいうような義務的にであっても、とにかく知識を獲得している段階といえます。それが、「好む」の段階になると深い思い入れが生じて、対象との距離は縮まってきます。つまり、前向きにやろうという積極的な意志がはたらく段階です。誰かに言われたからではなく、自分の意志でやろうと決めて取り組む状態だと思ってみてください。そうなると当然、やったことがよく身に付くようになります。でも、まだその先に「楽しむ」という段階があると言います。この段階になると、対象との距離がなくなり一体化する感覚になる。つまり、もっとうまくなりたい、もっとできるようになりたい、もっとわかりたい、というような感情がはたらくようになる。せずにはいられない、やっていて心が躍る、それが「楽しむ」という段階だと言います。そうなれば、たとえ困難なことがあったとしても、それを乗り越えて続けていくことができるようになるのだろうと思います。

この、論語にある対象に対する「知る」、「好む」、「楽しむ」の三つの関わりかたは、人としての成熟のプロセスともいえるものですから、かなり高いレベルが想定されるものだとは思います。それでも、皆さんのこれからの人生にとってはもちろん、これから始まる高校生活の様々な場面において、とても参考になる言葉だと思います。

たとえば、ある教科に対して難しいという苦手意識があるとします。でもそれは、これまで義務的に授業を受け、わからないこともひたすら暗記したりして、何とか対処してきたからかもしれない。それを、わかるようになりたいとの思いを強く持って、自分から本気でやろうと決意して、ゆっくりでもいいから最初はわからなくてもあきらめずに考え続け、前向きに授業にも取り組むことを続ける。そうすると、少しずつでもその内容が身に付いてくるようになるのではないでしょうか。そして、だんだん身に付いた知識が増えてくれば、それによってその教科の理解が進んできます。わかってきたことを実感できてきます。そうすると、その教科をもっと学びたいという意欲が起こってきて、わかることが心地よくなり、もっとやろうという意欲がさらにわいてきて、ついには夢中になって取り組めるようになるのではないでしょうか。

これは、授業に限ったことではありません。部活動でも行事への取り組みでも、趣味や遊びでも、対象が何かにかかわらず同じです。そして、もし何か一つの対象に対して「楽しむ」という段階を体感することができたなら、そのことで得られた自信がほかの対象に対するやる気へと必ずつながっていきます。

ですから、これから始まる高校生活で、わかるようになりたい、できるようになりたい、うまくなりたいと思っていることに、本気でやると自分で決意して、真剣に取り組んでもらえることを強く期待します。それが、人生ただ一度の高校生活をより有意義にし、人生にとって必要な土台をより強固なものにするための秘訣ともいえるものだと思います。

 

高校生活については、心掛けてほしいことをあと三つ挙げておきます。

 

まず、規則正しい生活を送ること。自分でタイムマネジメントができるようにすることです。何をするにも、日々の生活が安定していなければ、からだも心もついてはいきません。ですから、時間を自分で管理するという意識を強く持たなければなりません。はじめは難しいと思うかもしれませんが、やりながら自分なりの時間管理法を見つけ出してみてください。

 

次に、高校とは、そこで出会った仲間たちと遊び、教え合い、議論し、励まし合い、助け合い、そして仲間と一緒になって何かをつくりあげたり、何かを解決したりすることができる貴重な場です。ですから、仲間とともに学び、切磋琢磨する。そうした仲間との生活が、皆さんを必ず成長させてくれます。

 

そしてもう一つ。常に考える、自分なりの判断をすることを心掛けることです。論語には、次のような言葉もあります。

 

「子曰く。学びで思わざれば則ちくらし。思いて学ばざれば即ち殆うし。」

 

ただ読書をしたり、先生から教えを受けるだけで、自分の頭で考えなければ、混乱するばかりで必要な知識は身に付かない。かといって、考えるばかりで学ぶことをしなければ、独りよがりで考えが偏ってしまい危険である。学ぶことと考えることとのバランスを説いたこの言葉は、論語の中でも大変有名なものの一つです。「楽しむ」ためにも不可欠な、自分の頭でしっかり考える。ぜひ実践してください。

 

保護者の皆様におかれましては、重ねてお子様の入学のお慶びを申し上げます。私たち教職員は、お子様方がそれぞれの力をしっかり伸ばし、三年後には心身ともに大きく成長した姿で庄和高校を巣立ってくれるよう、全力でサポートしてまいります。ぜひ、本校の教育力を信頼していただくとともに、家庭と学校とでお子様の成長に向けて、歩調を合わせていければと思っております。何卒、ご支援とご協力をお願いいたします。

 

結びに、ご来賓の皆様、並びに保護者の皆様の益々のご健勝、ご発展をご祈念申し上げるとともに、今後とも変わらぬご指導とご鞭撻をお願い申し上げ、私の式辞といたします。

 

令和六年四月八日

埼玉県立庄和高等学校長 水石 明彦

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【校長講話】一学期始業式

令和6年度が始まりました。昨年度から引き続き、皆さんと気持ちよく毎日が過ごせたらと思っています。どうぞよろしくお願いします。

 

先週、台湾で大きな地震が発生しました。昨年10月に来校してくれた、丹鳳高級中学の皆さんの様子が心配されるところです。何よりもまずは関係の方々のご無事と、一日も早く日常を取り戻していただけることを心よりお祈りしたいと思います。

 

さて、今日は年度始めにあたり、「学ぶ」ということについて、少し話してみたいと思います。「論語」って知っていますよね。そこに次のような言葉があります。有名な言葉ですから、知っている人もいると思います。

 

「子曰く。学びで思わざれば即ちくらし。思いて学ばざれば即ち殆し。」

 

ただ読書をしたり、先生から教えてもらうだけで、自分の頭で考えようとしなければ、混乱するばかりで必要な知識は身に付かない。かといって、考えるばかりで学ぶことをしなければ、独りよがりになり客観的なとらえ方ができなくなって危険である。といった意味です。

例えば授業で、先生から教えてもらうことをただただ聞いている。そして、黒板の板書をノートにそのまま写す。そして、教えてもらったこと、あるいはノートに写したことをそのまま覚えようとする。それが自分の学習法だ、なんて人はいないでしょうか。でもそれでは、自分で考えようとしていないから、自分の力で答えを出す力は全く養われません。ただ覚えたという知識だけあっても、それはどういうことなのかという、物事の本質を見抜く力は全く身に付きません。そして、わかったという実感も得られず、覚えたこともじきに忘れてしまう、ということになってしまいますよ。実にもったいない話です。ではどうすればいいかと言えば、授業中もそれってどういうことかとか、どうしてそんなことがわかるのかとか、自分で考えを巡らせてみなければなりません。なぜだろうと悩み考え、その先で自力でできたという実感を味わえるような学習法を確立しなければならないということです。そうしなければ、もったいなさ過ぎます。最初はなかなかはかどらないかもしれません。それでもめげずに続けていれば、徐々に慣れてきて自分なりのやり方が見えてきます。

ただ、今度は自分で考えさえすればいいかというと、それも危険だと言っています。自分が知っていること、経験したことなんて限られています。その自分の知っているわずかな知識や経験だけをもとに考えていても、時としておかしな結論になってしまったり、考えが偏ってしまったりしかねません。それなのに、それを自覚しないで自分と違う意見を含めて、周りの意見を聞いたり受け入れようとしなかったりするとどうなるか。考えの幅が狭くなってしまい、独りよがりで身勝手な結論に陥ってしまったりします。こうなると、もう大変危険な状況です。

だから、そうならないためにも学びを怠ってはいけないし、正しい知識を身に付けることを常に意識しないといけないわけです。

 

新しい年度を迎えたところで、自分の学習スタイル、学びの様子をぜひ確認して、自分で考える、すぐにはわからなくても慌てずに考え続けてみる、といったことを実践してみてほしいと思います。本当にそうなのか、どうしてそうなるのか、という視点を常に持っていることがとても大切だということを覚えておいてください。

 

昨年度末には、皆さんにはやらないうちから簡単にあきらめないこと、やってすぐにあきらめないこと、そして、しぶとく楽しく高校生活を過ごしてほしい、とアドバイスしました。今年度が、皆さんにとって有意義な一年になることを願っています。

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【校長講話】令和5年度 修了式

今年度も今日で終了となります。皆さんにとってのこの一年間は、どうだったでしょうか。満足のいくものだったでしょうか。4月からはそれぞれ学年が上がって新しい年度が始まりますが、その前に皆さんはなぜ高校に通うのか、高校生活で自分がどうなることを期待しているのか、そんなことを自分なりに確認してみるのにいいタイミングです。もちろん、いろいろな見方や考え方があっていい。ただ、もし校長として高等学校、特に普通科高校の大きな役割は何かと問われることがあれば、生徒の将来の可能性を広げることを挙げます。

 

皆さんはきっと100歳くらいまで生きる。そこで、どんな人生、どんなキャリアを歩んでいくのかは、個々それぞれが自分で決めて進んでいくことになる。そのときのために、学校にいる間に将来の選択肢を広げて、つまり自分の可能性を広げて、そこから徐々に絞り込んで自分はこれをやる、これで生きていくというものを見つけてもらえるといい。学校は将来の可能性を広げる、選択肢を増やすために、必要だと思われることを可能な限り児童生徒に提供します。

 

いくつか例を挙げます。「学校」といえば授業が中心で「勉強する所」というイメージでしょうが、これは常識といわれるものを含め、知識を習得するということ。人は社会で生きていくうえで、ある程度のことはわかっている、知っている、あるいは覚えてはいなくても調べればわかると言えることが求められる。そうでないと困って立ちいかなくなったり、やりたいことがそれだけでできなかったりしかねない。でも、日常を普通に生きているだけでは身に付かないことがたくさんある。だから、授業や本を通じて習得する。様々な経験も、できれば実際に経験するのが一番です。やってみなければわからないことも多い。だから、様々な機会を捉えて積極的にやってみることがとても大切になる。でも、そうは言っても実際には経験できないこと、本物に出会ったり体験したりできないことはいくらでもある。そこで、先人の知恵や経験を授業や本を通して追体験する。さらに、人の心理、感情。これも自分の経験だけではわからないことだらけなので、小説をはじめとする本や、映画やドラマなどの映像作品を通して追体験する。

 

そうする中で、何か興味の湧くものに出会ったら、思いっきりそれに打ち込んでみる。そうやって、人は自分の可能性、選択肢を広げていくわけです。学校が普段から授業や行事、部活動等に積極的に参加すること、取り組むことを強く勧めるのはなぜかも、本を読むことを勧める理由もこう考えてみればわかってもらえると思う。

 

ただ、皆さんの中には参加できるのにしない、やらなければならないことから逃げてしまう、少しの我慢もできずに辞めてしまう、そういうことがあるでしょう。でも、やったほうがいいと頭でわかっているのに、しない、逃げる、あきらめるってことは、突き詰めていくと自分の可能性、将来の選択肢を自分でどんどん減らしていることになる。自分の将来の選択肢がどんどんなくなってしまうし、可能性がどんどんしぼんでいってしまう。だから、少なくとも自分の将来の方向性が見え始めるまでは、幅広く様々なことをやってみないといけない。そして、何か方向性が見え始めてきたら、その方向に関係しそうなことに徐々に重きを置いていくといい。

 

10月の丹鳳高級中学来校の際に、応対してくれた生徒会や文化部、有志といった皆さんが、わずか1時間足らずの間にすぐに仲良くなって、交流を深めていたのにはびっくりしました。皆さんは初対面のわずかの時間で、言語が違ってもしっかりコミュニケーションをとって、仲良く交流できてしまうことを見事に証明して見せてくれました。大したものです。このような出会いや経験が、皆さんの将来の選択肢を増やしていくのです。

 

皆さんにはやればできること、やれば自信がつくことがたくさんある。自分の可能性を広げることができる。だから、やらないうちから簡単にあきらめないこと。すぐにあきらめないこと。「あきらめる」ことは、「選択肢をひとつ失うこと」です。

 

残り少ない高校生活ですから、やらないうちから簡単にあきらめることなく、しぶとく、そして楽しく高校生活を過ごしてください。

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