校長講話

校長講話

【校長講話】令和六年度入学式

待ちに待った桜の花もついに満開となり、若い命が躍動する春がめぐってまいりました。春本番を迎えたこの佳き日に、本校同窓会長様をはじめ、ご来賓の皆様、並びに保護者の皆様のご臨席を賜り、令和六年度埼玉県立庄和高等学校入学式をかくも盛大に挙行できますことは、本校関係者一同の大きな喜びでございます。ご臨席をいただきました皆様に、厚く御礼申し上げます。

 

ただいま入学を許可しました158名の新入生の皆さん、入学おめでとうございます。保護者の皆様にも、今日の日を迎えられたことに心よりお慶びを申し上げます。皆さんは、今日から庄和高校の第四十五期生です。在校生、教職員を代表して、皆さんの入学を心より歓迎いたします。

 

本校は旧庄和町唯一の県立高校として、昭和五十五年に開校いたしました。以来、「夢 飛揚」の校訓のもと、自分色に輝き、社会で活躍できる人材の育成を目指して、地域の皆様に愛され信頼される学校へと成長を遂げてまいりました。新入生の皆さんにも、そんな本校でぜひ明るく活気ある高校生活を送ってもらうとともに、本校の歴史と伝統に新たな一ページを加えてもらえることを期待します。

 

皆さんはこの庄和高校を自らの意志で志望し、入学者選抜を見事に突破して、晴れて入学の日を迎えました。中学校までとは違い、自分で選んだ学校に今日から通うことになります。そんな皆さんだからこそ、本校での高校生活をより有意義なものにしてほしい。そのためにも、高校生活で思い切り「楽しむ」ことを目指してほしい。そう願っています。ただ、この「楽しむ」は、ただ楽しかった、というのとは違います。楽しい思いをさせてもらったとか、いい思いをした、面白かったとかということではありません。受け身ではなく、自分でやると決意して、本気で取り組んでみる。そうする先で得られるかもしれない、「楽しむ」です。「楽しむ」については、「論語」にこういう言葉があります。

 

「子曰く、之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。」

 

ものごとに対してただ知識をもっていても、それを好む者にはかなわない。好む者はそれを楽しむ者にはかなわない、といった意味になりますが、もう少し詳しく見てみましょう。まず、「知る」という段階では、自分と対象は離れていて客観的に把握しようとしています。つまり、単なる知識の獲得を意味します。やろうという自分の意志も、やりたいという感情などなくても、やれと言われたからとか、やらないと困るからとかいうような義務的にであっても、とにかく知識を獲得している段階といえます。それが、「好む」の段階になると深い思い入れが生じて、対象との距離は縮まってきます。つまり、前向きにやろうという積極的な意志がはたらく段階です。誰かに言われたからではなく、自分の意志でやろうと決めて取り組む状態だと思ってみてください。そうなると当然、やったことがよく身に付くようになります。でも、まだその先に「楽しむ」という段階があると言います。この段階になると、対象との距離がなくなり一体化する感覚になる。つまり、もっとうまくなりたい、もっとできるようになりたい、もっとわかりたい、というような感情がはたらくようになる。せずにはいられない、やっていて心が躍る、それが「楽しむ」という段階だと言います。そうなれば、たとえ困難なことがあったとしても、それを乗り越えて続けていくことができるようになるのだろうと思います。

この、論語にある対象に対する「知る」、「好む」、「楽しむ」の三つの関わりかたは、人としての成熟のプロセスともいえるものですから、かなり高いレベルが想定されるものだとは思います。それでも、皆さんのこれからの人生にとってはもちろん、これから始まる高校生活の様々な場面において、とても参考になる言葉だと思います。

たとえば、ある教科に対して難しいという苦手意識があるとします。でもそれは、これまで義務的に授業を受け、わからないこともひたすら暗記したりして、何とか対処してきたからかもしれない。それを、わかるようになりたいとの思いを強く持って、自分から本気でやろうと決意して、ゆっくりでもいいから最初はわからなくてもあきらめずに考え続け、前向きに授業にも取り組むことを続ける。そうすると、少しずつでもその内容が身に付いてくるようになるのではないでしょうか。そして、だんだん身に付いた知識が増えてくれば、それによってその教科の理解が進んできます。わかってきたことを実感できてきます。そうすると、その教科をもっと学びたいという意欲が起こってきて、わかることが心地よくなり、もっとやろうという意欲がさらにわいてきて、ついには夢中になって取り組めるようになるのではないでしょうか。

これは、授業に限ったことではありません。部活動でも行事への取り組みでも、趣味や遊びでも、対象が何かにかかわらず同じです。そして、もし何か一つの対象に対して「楽しむ」という段階を体感することができたなら、そのことで得られた自信がほかの対象に対するやる気へと必ずつながっていきます。

ですから、これから始まる高校生活で、わかるようになりたい、できるようになりたい、うまくなりたいと思っていることに、本気でやると自分で決意して、真剣に取り組んでもらえることを強く期待します。それが、人生ただ一度の高校生活をより有意義にし、人生にとって必要な土台をより強固なものにするための秘訣ともいえるものだと思います。

 

高校生活については、心掛けてほしいことをあと三つ挙げておきます。

 

まず、規則正しい生活を送ること。自分でタイムマネジメントができるようにすることです。何をするにも、日々の生活が安定していなければ、からだも心もついてはいきません。ですから、時間を自分で管理するという意識を強く持たなければなりません。はじめは難しいと思うかもしれませんが、やりながら自分なりの時間管理法を見つけ出してみてください。

 

次に、高校とは、そこで出会った仲間たちと遊び、教え合い、議論し、励まし合い、助け合い、そして仲間と一緒になって何かをつくりあげたり、何かを解決したりすることができる貴重な場です。ですから、仲間とともに学び、切磋琢磨する。そうした仲間との生活が、皆さんを必ず成長させてくれます。

 

そしてもう一つ。常に考える、自分なりの判断をすることを心掛けることです。論語には、次のような言葉もあります。

 

「子曰く。学びで思わざれば則ちくらし。思いて学ばざれば即ち殆うし。」

 

ただ読書をしたり、先生から教えを受けるだけで、自分の頭で考えなければ、混乱するばかりで必要な知識は身に付かない。かといって、考えるばかりで学ぶことをしなければ、独りよがりで考えが偏ってしまい危険である。学ぶことと考えることとのバランスを説いたこの言葉は、論語の中でも大変有名なものの一つです。「楽しむ」ためにも不可欠な、自分の頭でしっかり考える。ぜひ実践してください。

 

保護者の皆様におかれましては、重ねてお子様の入学のお慶びを申し上げます。私たち教職員は、お子様方がそれぞれの力をしっかり伸ばし、三年後には心身ともに大きく成長した姿で庄和高校を巣立ってくれるよう、全力でサポートしてまいります。ぜひ、本校の教育力を信頼していただくとともに、家庭と学校とでお子様の成長に向けて、歩調を合わせていければと思っております。何卒、ご支援とご協力をお願いいたします。

 

結びに、ご来賓の皆様、並びに保護者の皆様の益々のご健勝、ご発展をご祈念申し上げるとともに、今後とも変わらぬご指導とご鞭撻をお願い申し上げ、私の式辞といたします。

 

令和六年四月八日

埼玉県立庄和高等学校長 水石 明彦

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【校長講話】一学期始業式

令和6年度が始まりました。昨年度から引き続き、皆さんと気持ちよく毎日が過ごせたらと思っています。どうぞよろしくお願いします。

 

先週、台湾で大きな地震が発生しました。昨年10月に来校してくれた、丹鳳高級中学の皆さんの様子が心配されるところです。何よりもまずは関係の方々のご無事と、一日も早く日常を取り戻していただけることを心よりお祈りしたいと思います。

 

さて、今日は年度始めにあたり、「学ぶ」ということについて、少し話してみたいと思います。「論語」って知っていますよね。そこに次のような言葉があります。有名な言葉ですから、知っている人もいると思います。

 

「子曰く。学びで思わざれば即ちくらし。思いて学ばざれば即ち殆し。」

 

ただ読書をしたり、先生から教えてもらうだけで、自分の頭で考えようとしなければ、混乱するばかりで必要な知識は身に付かない。かといって、考えるばかりで学ぶことをしなければ、独りよがりになり客観的なとらえ方ができなくなって危険である。といった意味です。

例えば授業で、先生から教えてもらうことをただただ聞いている。そして、黒板の板書をノートにそのまま写す。そして、教えてもらったこと、あるいはノートに写したことをそのまま覚えようとする。それが自分の学習法だ、なんて人はいないでしょうか。でもそれでは、自分で考えようとしていないから、自分の力で答えを出す力は全く養われません。ただ覚えたという知識だけあっても、それはどういうことなのかという、物事の本質を見抜く力は全く身に付きません。そして、わかったという実感も得られず、覚えたこともじきに忘れてしまう、ということになってしまいますよ。実にもったいない話です。ではどうすればいいかと言えば、授業中もそれってどういうことかとか、どうしてそんなことがわかるのかとか、自分で考えを巡らせてみなければなりません。なぜだろうと悩み考え、その先で自力でできたという実感を味わえるような学習法を確立しなければならないということです。そうしなければ、もったいなさ過ぎます。最初はなかなかはかどらないかもしれません。それでもめげずに続けていれば、徐々に慣れてきて自分なりのやり方が見えてきます。

ただ、今度は自分で考えさえすればいいかというと、それも危険だと言っています。自分が知っていること、経験したことなんて限られています。その自分の知っているわずかな知識や経験だけをもとに考えていても、時としておかしな結論になってしまったり、考えが偏ってしまったりしかねません。それなのに、それを自覚しないで自分と違う意見を含めて、周りの意見を聞いたり受け入れようとしなかったりするとどうなるか。考えの幅が狭くなってしまい、独りよがりで身勝手な結論に陥ってしまったりします。こうなると、もう大変危険な状況です。

だから、そうならないためにも学びを怠ってはいけないし、正しい知識を身に付けることを常に意識しないといけないわけです。

 

新しい年度を迎えたところで、自分の学習スタイル、学びの様子をぜひ確認して、自分で考える、すぐにはわからなくても慌てずに考え続けてみる、といったことを実践してみてほしいと思います。本当にそうなのか、どうしてそうなるのか、という視点を常に持っていることがとても大切だということを覚えておいてください。

 

昨年度末には、皆さんにはやらないうちから簡単にあきらめないこと、やってすぐにあきらめないこと、そして、しぶとく楽しく高校生活を過ごしてほしい、とアドバイスしました。今年度が、皆さんにとって有意義な一年になることを願っています。

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【校長講話】令和5年度 修了式

今年度も今日で終了となります。皆さんにとってのこの一年間は、どうだったでしょうか。満足のいくものだったでしょうか。4月からはそれぞれ学年が上がって新しい年度が始まりますが、その前に皆さんはなぜ高校に通うのか、高校生活で自分がどうなることを期待しているのか、そんなことを自分なりに確認してみるのにいいタイミングです。もちろん、いろいろな見方や考え方があっていい。ただ、もし校長として高等学校、特に普通科高校の大きな役割は何かと問われることがあれば、生徒の将来の可能性を広げることを挙げます。

 

皆さんはきっと100歳くらいまで生きる。そこで、どんな人生、どんなキャリアを歩んでいくのかは、個々それぞれが自分で決めて進んでいくことになる。そのときのために、学校にいる間に将来の選択肢を広げて、つまり自分の可能性を広げて、そこから徐々に絞り込んで自分はこれをやる、これで生きていくというものを見つけてもらえるといい。学校は将来の可能性を広げる、選択肢を増やすために、必要だと思われることを可能な限り児童生徒に提供します。

 

いくつか例を挙げます。「学校」といえば授業が中心で「勉強する所」というイメージでしょうが、これは常識といわれるものを含め、知識を習得するということ。人は社会で生きていくうえで、ある程度のことはわかっている、知っている、あるいは覚えてはいなくても調べればわかると言えることが求められる。そうでないと困って立ちいかなくなったり、やりたいことがそれだけでできなかったりしかねない。でも、日常を普通に生きているだけでは身に付かないことがたくさんある。だから、授業や本を通じて習得する。様々な経験も、できれば実際に経験するのが一番です。やってみなければわからないことも多い。だから、様々な機会を捉えて積極的にやってみることがとても大切になる。でも、そうは言っても実際には経験できないこと、本物に出会ったり体験したりできないことはいくらでもある。そこで、先人の知恵や経験を授業や本を通して追体験する。さらに、人の心理、感情。これも自分の経験だけではわからないことだらけなので、小説をはじめとする本や、映画やドラマなどの映像作品を通して追体験する。

 

そうする中で、何か興味の湧くものに出会ったら、思いっきりそれに打ち込んでみる。そうやって、人は自分の可能性、選択肢を広げていくわけです。学校が普段から授業や行事、部活動等に積極的に参加すること、取り組むことを強く勧めるのはなぜかも、本を読むことを勧める理由もこう考えてみればわかってもらえると思う。

 

ただ、皆さんの中には参加できるのにしない、やらなければならないことから逃げてしまう、少しの我慢もできずに辞めてしまう、そういうことがあるでしょう。でも、やったほうがいいと頭でわかっているのに、しない、逃げる、あきらめるってことは、突き詰めていくと自分の可能性、将来の選択肢を自分でどんどん減らしていることになる。自分の将来の選択肢がどんどんなくなってしまうし、可能性がどんどんしぼんでいってしまう。だから、少なくとも自分の将来の方向性が見え始めるまでは、幅広く様々なことをやってみないといけない。そして、何か方向性が見え始めてきたら、その方向に関係しそうなことに徐々に重きを置いていくといい。

 

10月の丹鳳高級中学来校の際に、応対してくれた生徒会や文化部、有志といった皆さんが、わずか1時間足らずの間にすぐに仲良くなって、交流を深めていたのにはびっくりしました。皆さんは初対面のわずかの時間で、言語が違ってもしっかりコミュニケーションをとって、仲良く交流できてしまうことを見事に証明して見せてくれました。大したものです。このような出会いや経験が、皆さんの将来の選択肢を増やしていくのです。

 

皆さんにはやればできること、やれば自信がつくことがたくさんある。自分の可能性を広げることができる。だから、やらないうちから簡単にあきらめないこと。すぐにあきらめないこと。「あきらめる」ことは、「選択肢をひとつ失うこと」です。

 

残り少ない高校生活ですから、やらないうちから簡単にあきらめることなく、しぶとく、そして楽しく高校生活を過ごしてください。

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第四十二回卒業証書授与式

やわらかな日差しに、若い芽が膨らむ季節へと移ってまいりました。この春のよき日に、埼玉県立庄和高等学校 第四十二回卒業証書授与式を、本校PTA会長様をはじめ、ご来賓の皆様と多数の保護者の皆様のご臨席を賜り、かくも盛大に挙行できますことに深く感謝申し上げますとともに、心より嬉しく思います。

 

146名の卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。卒業生並びに保護者の皆様に心よりお祝いを申し上げます。

皆さんが本校に入学した三年前は、新型コロナウイルス・パンデミックによる様々な制約のある生活が続いていました。それまで当たり前だと思っていたことが、実は当たり前ではなかったことを痛感し、社会全体が持って行き場のないものへの対処に苦慮していました。幸い、今年度に入って体育祭のフルサイズでの開催や、文化祭に一般のお客様をお迎えすることができるようになるなど、本校も従来に近い教育活動が展開できるようになりました。この一年間は高校生活を思い切り満喫してもらえたのではないかと思います。皆さんの世代は、パンデミックの影響からイレギュラーな中学・高校生活を余儀なくされましたが、だからこそこの貴重な経験を今後のキャリアに活かさない手はありません。皆さんは制約のある中で、それぞれが自らをコントロールし、仲間とともに切磋琢磨しながら立派によくやってきた。この経験を強みに転じる、そんな心意気が大切です。

 

皆さんは今日でこの庄和高校を卒業し、次なるステージへと飛び立つことになります。世の中は「激動の時代」です。先を見通すことが困難な、不確定で予測不能な社会が到来しています。だからこそ、新たなイノベーションを起こし得る社会をつくっていかなければなりません。国も、そのためには多様性が不可欠であること、そして新たな破壊的なイノベーションを起こす個人を許容しないような現状からは速やかに脱却しなければならない、という強い課題意識を持っています。

 

しかし、今の世の中を見渡せば、リスクを回避して労せず結果を求める風潮、長期的な視野で思考・判断する余裕を持たず、短期的な成果や結果ばかりを追い求める風潮が強まっているように思えます。効率ばかりが優先され、寄り道することを良しとしない感覚に陥っているようです。他人のことを過度に気にする世間の同調圧力も、依然強いものがあります。悪く言えば、自分で考え判断することなく、多数派について勝ち馬に乗ろうとする、打算的で日和見的な空気感です。

また、SNSの世界でも実生活でも、グローバル化とデジタル化の進展で世界は大きく広がりましたが、それによってかえって人々の視野は狭まり、同じ意見の者同士でコミュニケーションを繰り返し、特定の信念が強化される、いわゆるエコーチェンバー現象が顕在化しています。フェイクニュースなる言葉が一般化したことなどはその典型であり、まさに多様性に逆行する画一化傾向です。

 

そんな難しい世の中ではありますが、これから飛び立つ皆さんに、長いキャリアの中で自分色に輝く人生をつかみ取ってもらえることを願い、私からの最後のアドバイスを送りたいと思います。

 

「激動の時代」だと、先ほど言いました。価値観も多様化しています。そんな今だからこそ、こうありたい、こうなりたい、という「思い」をしっかり持つこと、そして「自分の頭で考え行動する」ことが何よりも大切です。「思い」のない人、「自分の考え」のない人は、激動の時代には通用しません。

 

ですからまずは、自分に期待すること、自分の可能性と力を信じることです。知性も才能も努力によって伸びる。そして根気強く努力を続ければ、自分の資質をさらに高めることができる。人間はいつからでも変われる、成長できる。やればできると信じて一生懸命努力すれば、自分の能力をもっと伸ばすことが可能である。そういうことです。

作家であり映画監督でもある、ウディ・アレンをご存じでしょうか。かつて、若いアーティストたちへのアドバイスを求められて、彼はこう言ったそうです。「私が見たところ、脚本や小説をひとつひとつきっちり書き上げた人は、着実に興行や出版にこぎつける。でも、ほとんどの人は『書きたいんです!』なんて言ってくるわりには、すぐに挫折してしまって、結局、ひとつもまともに書き上げない」。そして、こう言ったそうです。「人生で成功する秘訣の八十パーセントは、めげずに顔を出すことである」。

 

そして次に大切なことは、まず何かを判断するとき、即断せずにもう一度考えること。例えば、次の質問を考えてみてほしい。あるものを二つ作るのに、二台の機械で二分かかるとする。では百個作るのに百台の機械で何分かかるだろうか。多くの人は、百分と答えます。でも、もう一度考えた人は、二分で作れると気づくことができる。簡単に引っかからないコツは、もう一度考えることです。

それから、基本が大切であることを肝に銘じて、ああでもない、こうでもないと考え悩みながら、やると決めたことに思い切り打ちこんでみることです。1980年代の西武ライオンズ黄金期を支え、ミスターレオを呼ばれた背番号7の名ショートに石毛宏典氏がいます。卒業生の皆さんはご存じないかもしれませんが、当時を知る世代であれば誰もが知っている名選手です。その石毛氏が、次のようなエピソードを披露されています。

入団一年目で新人賞、ゴールデングラブ賞、ベストナインに選ばれたにもかかわらず、二年目を迎える合同自主トレで、広岡新監督に「練習を見ていたけど、どう見てもお前下手だな」と言われたそうです。どうせやるならうまくなりたいという強い思いを持っていた石毛選手は、腹を立てつつも後日教えを乞いに行き、「お前が今やってんのは、すべて自己流、我流じゃ。それを個性とは言わん。今この時期に正しい理論を身に付けなさい」とアドバイスされます。それからは、合同自主トレ、キャンプ、オープン戦、公式戦、ホテルのロビーやフロント、そしてグラウンドでひたすらファンダメンタル、つまり小学生が捕るようなゴロでの基礎練習の毎日だったそうです。それこそが、ゴールデングラブ賞十回に輝き走攻守のオールラウンダーと称えられた名選手を生み出したと納得のエピソードです。

 

もうお判りでしょう。皆さんのそれぞれの人生は、「思い」を持って自分色に輝かせるべく、明るく顔を上げて、よく考え、そして愚直につかみ取りに行くしかないのです。ある予測では、皆さん世代は百歳まで生きる確率が、五十パーセント以上もあるそうです。文字通りの百年ライフです。その実践には、当然多くの変化が必要とされることでしょう。すでにリスキリングという言葉が一般化してきているように、学び直しとスキルの再習得を経て、生涯に二つ三つのキャリアを持つようなマルチステージの人生へと、生き方が変化していくことになるのでしょう。

でも、焦ってはいけません。人が成長する上でも、価値ある成果を生み出す上でも、そこに至るまでには様々な視点からの思考やアプローチ、たくさんのチャレンジと失敗、多様な学びや研究、検討が必要なことは疑うまでもありません。世間のムードに踊らされて効率ばかりに走ることなく、じっくり腰を据えて、試行錯誤しながら一歩一歩確実に階段を上っていく。そんな気構えが大切であることを、ぜひ覚えておいてください。

 

そしてもう一つ。この庄和高校で、自然豊かなこの庄和地区で、十代後半の貴重な三年間を日々自然と親しみ、自然を五感で感じて過ごしたことは、皆さんのこれからの人生にとっての財産とも言えるものです。江戸川を身近に感じ、木々の緑、青々とした稲穂、カエルやザリガニ、鳥のさえずりが日常にある。自然とは、優しく美しいばかりでなく、ときに厳しく残酷で理不尽でさえあることを、日常的に体感できるなんて、実に贅沢な環境といえます。なぜなら、悲しいかな今どきの都市部では、自然を日々体感できる環境は極めて希少となり、自然とうまく折り合いをつけて生きてきていることを忘れてしまいそうだからです。人類はこれまで常に自然を五感で感じ、自然とうまく折り合いをつけて共生することで生き残ってきたにもかかわらずです。

人類は、社会の発展とともに欲望や欲求を満たすべく様々なものを作り上げ、結果として地球環境を我がもの顔で改変し続けています。ICTが日常の一部となり、リアルとバーチャルの区別も曖昧になりつつあります。

そんな人間社会が、新型ウイルスひとつでその脆弱さを露呈しました。元日には能登半島地震が発生し、石川県を中心に甚大な被害に見舞われました。これまでも、ウイルスの発生や地震といった自然の脅威を再三にわたり認識させられている我々は、これまでに得た様々な教訓を、これからの世の中にしっかりと活かしていかなければならないのです。地球環境とどのように共生していくのかという大きな課題が、我々人類には突き付けられているのです。そのことをしっかり認識しなければなりません。

でも、庄和高校で高校生活を過ごした皆さんには、少なくとも自然を五感で体感してきたアドバンテージがある。そのことを自覚し、地球環境との共生の在り方に皆さんなりの考えや思いをもって、自分の人生を豊かなものにしていってもらえることを願っています。

 

最後になりますが、保護者の皆様におかれましては、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。重ねてお慶びを申し上げます。三年間の高校生活を全うし、心身ともに成長して社会に飛び立っていく卒業生の皆さんの姿を前にして、とても頼もしく思います。

この三年間、本校の教育活動に格別のご支援とご協力をいただき、誠にありがとうございました。至らない点やご心配をおかけしてしまった点もあったかと存じますが、暖かく見守っていただきましたことに心より感謝申し上げます。そして、できますれば、今後とも庄和高校に対する変わらぬご支援を賜りますようお願い申し上げます。

 

結びに、第四十二回の卒業生全員が自分色に輝き、夢へと飛揚せんことを心より期待して、私の式辞といたします。

 

令和六年三月十二日

埼玉県立庄和高等学校長 水石明彦

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【校長講話】第三学期始業式

年の始めというのは新年を祝う明るいムードに包まれるものですが、今年はその元日に、令和6年能登半島地震という大変な災害が発生してしまいました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災されたたくさんの方々へのお見舞いを申し上げたいと思います。そして、一日も早く日常が回復し、復興されることをお祈りしたいと思います。

また、翌2日には、日本航空機と海上保安庁機が滑走路上で衝突炎上するというショッキングな事故が起こりました。

 

普段、私たちは概ね安全に安心して生活できているわけですが、このような災害や事故を前にして、改めて自分たちの日々の生活の在りようを見つめ直してみる必要があるように思います。

 

さて、今日から三学期です。始業式で3つの学年が揃うのも、今日が最後になります。二学期の終業式では自分の考えをしっかり持つことの必要性について触れましたが、今日は改めてその前提となる「自分で考える」ことの大切さを確認したいと思います。

 

皆さんが生きている今の時代は変化が激しく、先の見通しが立たない時代である。だから、新たなイノベーション、変化に合わせた新たな対応ができる能力が求められる、と言われています。それはその通りです。ただ、考えればわかることですが、新たなイノベーションや変化に合わせた対応といったものは、基本を身に付けた上での応用の、それも高度な応用の話です。

 

ここでいう基本とは、それぞれの人にとっての「土台」です。「土台」無くして建物は建たないし、「土台」が強固であるほど立派な建物が建ちます。イメージしやすいようにスポーツを例にとると、試合をするには最低でもルールの理解とプレーの基本技術が必要で、これがこのレベルでの「土台」です。でも、大会上位を目指すなら、加えて戦術理解と戦術通りの正確なプレーができる技術、プレッシャーに打ち勝つ精神力、最後まで全力プレーができるスタミナ等が必要になるわけで、それがこのレベルに求められる「土台」です。それでも、実際の試合では想定外の場面や、瞬時に判断を迫られたりする中での適切なプレーが要求されます。これが応用です。

 

将来何をするにも必要となるであろう「土台」は、遅くとも十代のうちにはつくっておくべきです。3年生にとってはその意味で今年一年が大切です。誤解のないよう断っておきますが、「土台」づくりは勉強のときばかりではありません。スポーツでも、仕事でも、趣味でも、遊びでも、日々の生活全ての場面が「土台」づくりの場になります。その「土台」づくりで最も大切なこととして強調したいことが、常に「自分で考える」ことです。

 

勉強を覚えることと勘違いしてはいけません。知識は、本来考えて身に付けていくものです。ただ暗記するという手法は、時間のないときの緊急手段です。脳の容量には限りがありますから、関連付けのないただの暗記ではすぐ忘れてしまいます。知識は考えることで関連づけがなされ、整理されてこそ定着するものです。ですから、物事を理解するには、定着している知識を活用しながら、ああでもないこうでもないと考えて、わかったと確信できるまで自分なりに解釈判断してみることが大切です。新たな知識を理解しようとする過程で、記憶されている様々な知識を動員して思考することで、脳内に新たなネットワークができたり、ネットワークが広がったりする。そのネットワークが活用されて、ときには柔軟な判断やひらめき、新しいアイデアを生み出すことができるということなのだと思います。考えるには知識が必要ですが、考えることでさらに新たな知識が身に付きます。学校の授業というのは、考える上で身に付けておくべき知識習得の場であると同時に、考える材料を提供する場でもある。授業とは、その意味でも貴重な場であることをぜひ認識してもらいたいと思います。

 

最後に、「自分で考える」上での心構えを一つ。「本気で取り組む」ことです。今年一年、自分の土台づくりに励んでみてください。

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【校長講話】第二学期終業式

2学期はいろいろな授業にお邪魔して、皆さんの授業中の様子を見せてもらいました。ちょうどこの時期に2年生の国語で取り上げられていた夏目漱石の「こころ」は、昔から高校の国語の教科書に取り上げられていましたので、多くの大人にとって馴染みのある懐かしい作品です。そこで、今日はこの夏目漱石の「こころ」から話を進めてみます。

 

この「こころ」という作品は、「エゴイズム」が大きなテーマとなっている。授業で先生からそう説明がありました。

夏目漱石は、明治になる直前の慶応年間の生まれで大正5年に亡くなっていますから、まさに明治時代を生きた人です。明治に入ってからの日本という国は、近代化に向けて邁進し続けたわけですが、内発的に、つまり中から徐々に変化が醸成されるということではなく、外発的に、つまり外から無理して急激な西欧化を進めたわけです。ですから、当然ひずみが生じます。表面的な近代化は成し得たとしても、当時の日本人の多くは日本の伝統思想と西洋の近代思想との間での矛盾によって、内面的にこれまでにない不安と孤独を抱えていたようです。そんな時代に、それまで日本の精神文化に浸っていた漱石が33歳のときにイギリスに留学し、そこで自分が「他人本位」であることに苦悩することになります。この他人本位とは、他人や周囲からすぐ影響されてしまう、人まねをしたり周りに流されてしまう、といったようなことです。でも、この精神的危機を経て、漱石は「自己本位」をつかんではじめて自信を持てるようになったと後に語っています。

 

では、この「自己本位」とは何かというと、「自分が主で、他人は賓である」と漱石は言います。ちなみに、賓とは大切な客人といった意味です。自分が主であるということは、他人の敷いたレールを進むのではなく、自分の意志で道を切り開く、つまり自分の頭で物事を判断し、自分が本当に向かいたい道を追求することです。ただし、他人は賓であるというわけですから、他の存在を尊重すると同時に自分の存在を尊重するということになります。つまり、自分勝手で他人を顧みないような「エゴイズム」(利己主義)ではない「個人主義」といえるものです。

 

しかしです。「エゴイズムの克服」は、実に難しい。なぜなら、エゴイズム的側面は、生来誰もが持っているともいえるからです。「こころ」にも次のようなくだりがあります。「平生はみな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです」。でも、それを漱石は、作品の中でなんとか乗り越えようと苦闘します。

 

そんな漱石の作品を読んだ我々は、作品を通して少なくとも人間が持つ、つまり自分にもあるエゴイズムを強く意識することになります。そのうえで、どのように生きていくかを考えることになる。そして、自分の意識にそのことが強く刻まれることになります。

 

漱石の時代から100年余りが経ち、日本が欧米の背中を追う時代はとうに過ぎ去っています。グローバル化が進み、世界がより身近なものとなった今、漱石のいう「自己本位」がより強く求められる時代となりました。しかし、今を生きる我々はどうでしょうか。周りを気にしすぎたり、人まねをしたり、自分の意見を持たなかったりしていないでしょうか。そうかと思うと、自分勝手な主張を繰り返したり、他人の迷惑を顧みずに自己中心的で我儘な行動を取ったりはしてないでしょうか。漱石は「自己本位」をつかんではじめて自信を持てるようになったと語っています。皆さんも、これを機にぜひ自分の考えや行動を見つめ直し、新しい年の始まりに自分なりの決意を固めてみてください。ひょっとすると、今よりもっと自分に自信が持てるようになるかもしれません。

 

明日からは冬休みです。体調管理に留意して、よい年をお迎えください。

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【校長講話】第二学期始業式

長い夏休みが明けました。が、この異常な暑さで、年長者にはバテ気味の人も多いのではないかと思います。若い皆さんは大丈夫だと思っているかもしれませんが、油断は禁物です。まだしばらくは酷暑が続くようですから、体調管理には十分気を付けてください。それにしても、最近の地球環境変化の異常さは、皆さんが担うことになる将来にとって実に憂慮すべき事態です。

 

さて、今日は「学校」と「自由」について話をします。先日、学校という漢字や英語のschoolの語源について見聞きすることがあり、確認のつもりで自分でも調べてみました。

 

schoolという英語はギリシア語の δχολη(スコレー)が語源で、その意味は「暇」だそうです。また、ラテン語で学校のことはludus(ルードゥス)と言うそうで、図書館の日羅辞典によると「遊戯」、「娯楽」、「学校」などの意味があり、その動詞ludo(ルード)には「遊ぶ」の意味とありました。一方で、学校の学という漢字の旧字体「學」を図書館のある漢和辞典で調べると、「道理のわからない子どもが、ならってさとること」とあり、学校の「校」の字にはもともと罪人の手足を締め付けて拘束する道具、手かせ、足かせの「かせ」を意味していたとありました。

 

古代ギリシアでは労働はすべて奴隷が行い、富裕層の市民は労働から解放されていましたから、市民は特権的な暇を活用して、様々なことを考え議論していたのでしょう。「遊び」も、夢中になって楽しく打ち込む中から自由な行動や発想が生まれ、それが学問や文化の創造へとつながっていくことになります。一方の、漢字の語源から感じられる自由が制約された場所というイメージも、人類がこれまで築き上げてきた知識や文化を吸収し、将来の学問や文化の担い手となるための基礎を身につける場としてみると重要です。なぜなら、基礎なくして応用し創造することはできないからです。つまり、学校にはギリシア語やラテン語の意味合いと、漢字の語源からくる意味合いの両方の側面があるということになります。では、そんな学校で生活する皆さんがとるべき姿勢はどうあるべきかといえば、学校という一定程度自由が制約された環境ではあっても、ただおとなしくしているだけの受け身の姿勢ではいけません。主体的な行動や実践にどんどん挑んで、社会人として自由を正しく使いこなせるようにならなければいけない。そういうことだと思います。

 

来週は、いよいよ庄和高祭です。4年ぶりに入場制限なしでの開催です。この文化祭という場にも、当然制約はあります。でも、実は制約があるからこそ創意工夫のし甲斐もあるわけで、だから「遊び」のごとく夢中になって思い切り楽しめるという側面もあるのではないかと思います。さらに、皆さんからの要望を受けて、当日は日常の制約の一部が解除され、皆さんは当日その分の自由を手にするわけです。ぜひ手にした自由を正しく使えることを、見せつけてほしいと願っています。

 

そんな期待を込めて、福澤諭吉の「学問のすすめ」から、自由を論じた一節を明治大学の齋藤孝教授の現代語訳で紹介します。「学問のすすめ」といえば、冒頭の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」があまりにも有名ですが、全体は17の編で構成されています。その初編で、福澤はさっそく「自由とはわがままのことではない」とくぎを刺します。

 

ただ自由とだけ言って「分限(義務)」を知らなければ、わがまま放題になってしまう。その分限とは、天の道理に基づいて人の情にさからわず、他人の害となることをしないで、自分個人の自由を獲得するということだ。自由とわがままの境目というのは、他人の害になることをするかしないかにある。

 

さらに、第8編では人間の心身の自由を論じるにあたり、「身体」、「知恵」、「欲」、「良心」、「意思」という5つの性質(力)に触れ、その5つの力を使う上での「分限」を強調しています。

 

ただ、この5つの力を使うにあたって、(中略) 分限を超えないようにすることが肝心だ。分限とは、自分もこの力を使い、他人もこの力を使いながら、お互いにその働きを妨害しないということである。このように、人間であることの分限を間違えずに世間を渡れば、他人にとがめられることもなく、天に罰せられることもない。これが人間の権理である。

 

*「利」ではなく「理」を使った「権理」とは、英語でいうrightのことで、持っているべきことにきちんとした理が通っていて、主張しても何ら恥じることないといった意味合いです。

 

いかがでしょう。

自由とわがままの境目というのは、他人の害になるかならないかにある。人間であることの分限を間違えずに世間を渡れ。

ぜひ参考にしてください。そして、有意義な2学期を送ってもらえるよう期待しています。

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【校長講話】第一学期終業式

突然ですが、皆さんは「オニツカタイガー」というブランドを知っていますか。1964年の東京オリンピックの頃、すでに優れたスポーツシューズのブランドとして海外にもその名を知られていた日本のブランドです。1970年代の会社合併により、社名、ブランド名ともに「アシックス」となりますが、2000年代になってアシックスが展開するブランドとして「オニツカタイガー」を復活させたそうです。ちなみに、「アシックス」ブランドは、皆さん知ってのとおり今や日本が誇る世界的スポーツブランドになっていますね。

 

ところで、1960年代にそのオニツカタイガーの優れたスポーツシューズにほれ込んだ人物が、母国アメリカでの販売権を取得して地元オレゴンでスポーツシューズの輸入を手掛ける会社を立ち上げます。そして、1970年代はじめには新たな社名で独自ブランドを立ち上げるのですが、そのブランドこそ、ギリシャ神話の勝利の女神「ニケ」がその名の由来とされる世界のトップブランド「ナイキ」です。

 

ナイキは、1980年代にはNBA入団直後でまだ実績のなかった若きマイケル・ジョーダンと破格の契約を結び、あのエアージョーダンを爆発的にヒットさせるなど非常に優れた経営戦略をもった会社ですが、1990年代後半には、すでにバスケットボールの神様といわれるまでになっていたマイケル・ジョーダンを起用しての伝説的なCMをつくります。

 

そのCMは、マイケル・ジョーダンがシカゴ・ブルズのホームであるユナイテッドセンターの地下駐車場に到着してからアリーナに入るまでの姿を追うモノクロ映像で、ジョーダン自身によるナレーションが入ります。

 

    I've missed more than 9000 shots in my career.  I've lost almost 300 games.  26 times, I've  been trusted to take the game  winning

 shot and missed. I've failed over and over and over again in my life. And that is why I succeed.

 「キャリアを通して9000本以上のショットを外してきた。

  300試合以上負けている。

  26回、ウイニングショットを任されながらも外した。

  人生で失敗してきた。何度も、何度も、何度も。

  それこそが、私が成功した理由だ。」

 

ジョーダン自身があえて「失敗」を語るというそのCMは、当時大変話題となりました。

ジョーダンは、他にこんなことも言っています。

 

 You have to expect things of yourself before you can do them.

 「物事を可能にするには、自分自身に期待しなければならない。」

 

 Everybody has talent, but ability takes hard work.

 「誰もが才能をもっている。でも能力を得るには努力が必要だ。」

 

 Never say never, because limits, like fears, are often just an illusion.

 「無理だなんて決して口にするな。限界なんて恐怖と同じで、たいていは幻想にすぎない。」

 

 Don't be afraid to fail. Be afraid not to try.

 「挑戦することを恐れるな。挑戦しないことを恐れろ。」

 

終業式にあたり、この一学期の率直な感想は「庄和高生、なかなかやるな」といったところです。皆さんの体育祭での動きや表情、ふるまい、部活動での姿、朝早く来て勉強している姿など、どれもみな立派でした。部活動での活躍の一例として、男子バスケットボール部。見事県大会に出場しての結果的に3年生最後となった試合で、強豪を相手に顧問の先生をして今シーズンのベストゲームと言わしめたプレーをして見せた。その事実だけで、部活動で培ってきた力を、成果を、見事に証明してみせたといえます。

 

ただ一方で、庄和高生全体に感じられるのは、どうも自分自身の可能性を信じていないというか、あまり自分自身に期待していないのではないかということ。「どうせ自分はこの程度」とか、「私なんて」とか、「できないに決まってる」とかいって、一歩前に出ることをためらっている。やろうと思ったとしても、結局やることから逃げてしまっている。そんな気配を感じるのですが気のせいだろうか。でも、もし気のせいではないとしたら、皆さんは自分自身に対して実に失礼なふるまいをしていることになるのではないか。なぜなら、自分が持っている能力や可能性を、試しもしないで自ら否定し、自ら捨てていることになるからです。

 

先ほどのマイケル・ジョーダンの言葉を、もう一度紹介します。

 「自分自身に期待しなければならない。」

 「無理だなんて決して口にするな。」

 「挑戦することを恐れるな。挑戦しないことを恐れろ。」

 

たとえこれまではできなかったとしても、これからもできないなんてことはない。要は、皆さんがその気になるかどうかにかかっている。その気にさえなれば、今からいくらでもやれることがある。

 

明日から、42日間もある長い夏休みに入ります。こんな長期の休みは、夏しかありません。普段なかなかやれないことをしたり、これまでできなかったことを始めてみるには絶好の機会です。例えば、数学の問題を解くのに、何かよい方法はないかと「ああでもない、こうでもない」と考えをめぐらせたことのない人、「分かった」いう実感をこれまであまり経験していない人、英語をどうやって勉強していいのかよく分かっていない人、はたまたやろうと思っていることはあるが、実際にやれるか不安だという人は、この休みにそこを何とかすべく挑戦してみてはどうだろう。やってみれば2学期以降、きっとその成果がじわりじわりと現れてきます。

 

やってみようという皆さんのためにと、先生方がこの夏休み期間中、校内に自習室を用意してくれます。勉強しなければと思っている皆さん、家では集中できないとか、気分が乗らないとか、勝手な言い訳をつくってないで、静寂の自習室に身を置いてみたらどうだろう。はじめはゆっくりとした歩みでも、時間をかけてじっくりやってみれば必ず自分の身となり力となる。やればその人なりの勉強の感触が、きっとつかめてきます。その気があるなら、自習室というせっかくの場を、自分自身のために有効に活用してみることをお勧めします。

 

ぜひ自分自身に期待して、この夏休みを有意義に過ごしてください。

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令和五年度入学式

 桜の木も花から新緑へと装いを変え、まさに若い命が躍動する季節がめぐってまいりました。春本番を迎えたこの佳き日に、ご来賓様、並びに保護者の皆様のご臨席を賜り、かくも盛大に令和五年度埼玉県立庄和高等学校入学式を挙行できますことは、本校関係者一同の大きな喜びでございます。ご臨席をいただきました皆様に、厚く御礼申し上げます。

 

ただいま入学を許可しました163名の新入生の皆さん、入学おめでとうございます。皆さんは、今日から庄和高校の第四十四期生です。在校生、教職員を代表して、皆さんの入学を心より歓迎いたします。

保護者の皆様にも、今日の日を迎えられたことに心よりお慶びを申し上げます。

 

本校は旧庄和町唯一の県立高校として、昭和五十五年に開校いたしました。以来、生徒の個性を伸ばし、質の高い多様な進路実現を目指す学校として、地元の皆様に愛され信頼される学校へと成長を遂げてまいりました。この式に臨まれている新入生の皆さんには、ぜひ本校に明るく活気ある新風を吹き込んでいただき、本校の歴史と伝統に新たな一ページを築いてもらえることを期待します。

 

 三年前、新型コロナウイルス・パンデミックという、過去百年に人類が直面したことのない緊急事態がおこりました。皆さんの中学校での生活も、その影響を大きく受け、三年間を通じて様々な制約の中での中学校生活を余儀なくされたことと思います。幸い、パンデミックによる学校生活への制約は、徐々に解除されつつあります。これから始まる本校での三年間の高校生活では、ぜひとも仲間とともに様々なことに思い切りチャレンジし、そして互いに切磋琢磨して、皆さんの人生にとってのかけがえのない高校生活を存分に楽しんでもらえればと思います。

 

ところで、そもそも高校生は高校生活をどのように過ごすべきなのでしょう。高校を卒業すれば、事実上社会人とみなされます。とすると、社会の一員として自分で何とかやっていける最低限のスキルは身に付けておかなければなりません。ただ、今は大変便利は世の中です。皆さんの中にはこれまで、自分で考えて何とかしなければならなかった経験が、あまりない人もいるかもしれません。周りに何でも面倒を見てもらえたので、自分から判断、行動しなくても、自分で考えなくても、言われたとおりにしていれば何とかしてもらえたし、何とかなったのでしょう。でも、ひとたび社会に出れば、じっとしていては誰も面倒など見てはくれません。助けてもくれません。何をやればいいのかも、どうやるのかも、悩みやわからないことへの対処法も、自分から動かなければ解決しません。つまり、自分の頭で考えて、適切に判断し行動しようとする。自分で何とかやっていこうとする。そのことが、大人になれば当たり前のこととして求められるようになります。ということは、これから始まる高校生活で、そのために必要なスキルを磨かなければなりません。

 

 物事を正しく判断するためには、考えを深めていくことができなければなりません。それを可能にするには、語彙力と幅広い基礎的な知識が必要です。ただ、知識や思考力の獲得には、忍耐力や意欲といった目標の達成に関わるスキルがものをいいます。あわせて、ヒトは社会的な生き物ですから、様々な関わりの中で正しく判断し行動するには、協調性や共感性といった他者との協働に関わるスキルが必要不可欠です。豊かな心をもって人生を切り拓いていくには、自尊心や自信といった情動の制御に関わるスキルも欠かせません。これらは「非認知的スキル」といわれるもので、数値等で測れるものではありませんが、身に付けておくべき非常に大切なスキルです。

 

 皆さんは、生涯にわたって人生という長い階段を、一歩一歩高みを目指して上っていくことになります。ただその階段も、土台がしっかりしていなければ、何かのはずみで倒れてしまいます。階段を支える土台とは、自分の頭で考え、適切に判断して行動しようとしたり、自分で何とかやっていこうとするうえで必要な基本ともいえる部分です。その土台をつくり上げる時期が、まさにこれからの時期なのです。ですから、勉強はもちろんですが、それ以外の興味や関心のある様々なことに、本気でチャレンジするべきです。目先のことばかりではなく、これからの長い人生を見据えて、高校生の時期に見ておきたいもの、経験しておきたいもの、身に付けておきたいものにチャレンジすべきです。チャレンジすれば、失敗することや挫折することもあるかもしれませんが、それも貴重な経験です。それらがすべて、皆さんのこれからの人生を豊かにするうえでの土台になるはずです。

 

 庄和高校では、皆さんに様々なことにチャレンジして、しっかりした土台をつくってもらうための環境を整えています。皆さんにはせっかくあるその環境を存分に使いこなして、高校生活を満喫してもらいたいと思います。

 

今日は、そのためのコツを伝授します。

 

 一つは、規則正しい生活を送るためのタイムマネジメントです。何をするにも、日々の生活が安定していなければ、からだも心もついていきません。やりたいこと、やるべきことがいろいろある、あるいはやりたいことを早く見つけたいはずの皆さんは、時間を自分で管理するという意識を強く持たなければなりません。はじめは難しいと思うかもしれません。でも、やりながら自分なりの時間管理法を見つけ出してみてください。

 

 二つ目は高校生活では仲間とともに学び、切磋琢磨すること。高校という場は、そこで出会った仲間たちと遊び、教え合い、議論し、励まし合い、助け合い、そして仲間と一緒になって何かをつくりあげたり、何かを解決したりすることができる貴重な場です。そうした生活が、皆さんを必ずや成長させてくれます。

 

 三つ目はやると決めたら全力で取り組むことです。勉強はもちろん、学校行事も、部活動も、趣味も遊びも、やるなら本気でチャレンジすべきです。高校という場では、一人では困難に思えるものが、仲間と一緒にチャレンジすることでできてしまったりします。くじけそうなときも、仲間がいれば何とかなってしまう。そんな得難い場でもあるのです。

 

少々難しい話のように聞こえたかもしれません。でも、決してそんなことはありませんし、心配することもありません。皆さんには、人生で一度限りの高校生活に臨むにあたり、この庄和高校で素直に自分を成長させたいという気持ちを持ち続け、そして仲間とともに本気でチャレンジする気持ちを忘れることなく取り組むことを決意してほしい、ということです。本当の意味で何かを楽しむには、真剣に本気で全力で、ことに挑まなければなりません。皆さんの高校生活を、本校の教職員が全力でサポートします。どうぞ、仲間とともにこれからの高校生活を思い切り楽しんでください。

 

最後になりますが、保護者の皆様におかれましては、重ねてお子様の入学のお慶びを申し上げます。本日より、大切なお子様をお預かりいたします。私たち教職員は、お子様方がそれぞれの力をしっかり伸ばし、三年後には心身ともに大きく成長した姿で庄和高校を巣立ってくれるよう、全力でサポートしてまいります。ぜひ、本校の教育力を信頼していただくとともに、家庭と学校とでお子様の成長に向けて、歩調を合わせて取り組んでいけたらと思っております。何卒、ご支援とご協力をお願いいたします。

 

結びに、ご来賓様、並びにご列席の皆様の益々のご健勝、ご発展をご祈念申し上げるとともに、今後とも変わらぬご指導とご鞭撻をお願い申し上げ、私の式辞といたします。

 

令和五年四月十日

埼玉県立庄和高等学校長 水石 明彦

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第一学期始業式

先月おこなわれたWBCでは、侍ジャパンの活躍が日本中を熱狂の渦に巻き込みました。この先も、夏の水泳やバスケットボールの世界選手権、秋のラグビーのワールドカップなどが予定されています。これまでの数々の制約もやっと解除されてきていますので、今年は明るく元気が出る話題をたくさん期待したいものです。

 

皆さんにとっての高校生活も、残すところ一年ないしは二年です。高校時代にやっておきたいこと、やっておくべきことに、ぜひとも全力投球してください。

 

さて、令和5年度が始まりました。今日の午後には、皆さんの後輩が入学してきます。ぜひ、庄和高校の先輩としてのたくましい姿を、後輩たちに見せてあげてください。

 

 今日は、皆さんが高校を卒業したときになっていてほしい姿についてお話しします。結論を先に言ってしまうと、「まだまだ分からないことはいろいろあるにせよ、この先自分で何とかやっていこうと思える」。そんな姿です。

 

補足をします。今はとにかく便利というか、便利すぎる世の中です。そんな中で生活していれば、周りの人の言うとおりにしていれば何とかなるとか、何もしなくても何とかしてもらえる、なんていう意識を、どこかに持ってしまっても無理ないのかもしれません。

 

また、今の世の中全体の意識というか空気感が、リスク回避、安全志向にグッと傾いてきています。無理などせずに、なるべく楽をしていい結果を得たい。身近な、あるいはごく近い将来の結果を求めて、最短距離で効率よく目指すのが正しい。そんな現代的な思想や態度も感じられます。

 

でも、皆さんが高校を卒業して、一たび社会の一員として世の中に出ていけば、一人前の大人として扱われます。自分で何とかやっていかないと、誰も面倒など見てはくれません。ですから、その準備を高校時代にしっかり積んでおく必要が高校生にはあります。また、人の人生は長いのですから、目先ばかり見ていてはいけません。20年後、30年後に社会で力を発揮するには、高校時代にやっておくべきことがきっとあるはずです。

 

では、具体的にはどうすればいいのか。端的に言えば、興味のあることややらなければいけないと思っていることに、本気でチャレンジする経験を積むことです。

 

ありきたりでピンとこないかもしれないので、部活動を例にとります。あえて本校にはない部活にして、高校でラグビー部に入ったとします。まったくの初心者がまず何をするかといえば、基本スキルの習得です。入って数か月もすれば、ゲーム形式の練習にも参加できるでしょうし、一年もしないで大会にも出場できるかもしれない。でも、基本スキルの習得には時間と労力がかかるものですから、そこは手を抜くことなく3年間磨き続けなければなりません。例えば、パスにも様々なパスがありますし、左右どちらへも自在にパスできなければなりません。キックだって様々な蹴り方があるし、利き足だけでなく両足どちらでも正確に蹴れるようになりたいものです。筋力、脚力、持久力のアップももちろん必須です。

 

このとき大事なのは、ただ言われたとおりにやるのでなく、どうすればもっとうまくなるかを、自分で考えたり、調べたりしながら様々なことを試してみたり、工夫をしてみたり、密かに自主練習をしたり、といった姿勢と取り組みです。本来、できるようになりたい、うまくなりたいという気持ちがあれば、自然とそうした気になるものです。人は誰でもその気にさえなれば、そうやって頑張れます。本気でチャレンジすることが大切だと言ったのは、そういうことです。

 

高校ではそれなりに活躍できても、基本スキルの習得をおろそかにしてしまった選手には、その後の成長は期待できません。一方で、高校ではあまり目立たなかったとしても、手を抜かずにやり続けた選手には、一流への道が拓けるかもしれません。

 

10歳代後半というのは、その人の人生の土台をつくる時期です。つまり、これからの長い人生で必要となる基本の習得にまい進する時期です。それを、高校生は仲間とともに取り組めます。一人ではくじけてしまいそうなときも、仲間がいれば助けてもらえるし、頑張れたりもするものです。

 

そして、この基本の習得を目指して取り組んだ経験と自負が、自分で何とかやっていけると思える根拠になる。そんな風に思うのですがいかがでしょうか。

 

人は、若いうちにたくさんのチャレンジをする中で、様々な経験をしながら育つものです。たくさんのチャレンジをすれば、悩みや苦しみ、挫折も経験しますが、それでもチャレンジを続けるからこそ、人は高みに上れるし、偉大な成果もあげられる。つまり、チャレンジしたその経験こそが、皆さんを立派な大人にするのだと思います。

 

というわけで、「チャレンジ」。この精神をいつも心に秘め、本校在学中にいろいろなことに本気でチャレンジしてくれることを期待しています。

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