校長講話

2025年3月の記事一覧

【校長講話】令和六年度修了式

先日の卒業証書授与式では、気持ちよく、そして温かく先輩たちの門出を祝福してくれました。皆さんの協力に感謝します。1年後、2年後には、今度は皆さんが後輩から祝福してもらう番になります。今日は年度末という区切りの日ですから、卒業までに是非もう一度見直してみてほしいこととして、社会人としての基礎、つまり土台を築き上げるうえで押さえるべき「基本」についてお話しします。

 

例を挙げて説明します。体力や健康、あるいは美容といえば、かなりの人が関心を持っていると思います。そこで、改善しよう、あるいは鍛えようと思ってトレーニングを始める人も多いと思います。そのときポイントとなるのは動きの意図を意識して正確に取り組むこと、これがここでの「基本」です。筋肉や関節、腱、あるいは腰などに必要な刺激を与えるための、一つ一つの動きを正確に、そして適切に負荷を掛けることが大切で、それが不正確であったり形だけだったりでは、期待する効果は決して得られません。「基本」に忠実に、そして継続しておこなうことで、はじめて期待する筋力のアップや姿勢の矯正、体幹の安定、身体のシェイプアップといった効果が生まれまることになる。何となくでもわかりますよね。

 

では、体育の授業。体操やスクワットなどの決まったメニューがあると思います。ここでも一つ一つの動きを正確に、そして適切に負荷を掛けているかが、やっただけの成果を生むか無駄に時間を浪費するかの分かれ道です。運動部の練習にも決まったメニューがあると思いますが、一つ一つのメニューにどのような場面を想定しているかとかどこを鍛える動きかといった意図がちゃんとあるはずです。その意図を意識してメニューをこなすことが大切です。いずれも、「基本」に忠実に行うか否かで、皆さんが身に付ける力に決定的な差が出ることになります。

 

それでは勉強はどうか。勉強ができるようになりたい、とは誰もが思っていることだと思います。だから、授業中真面目に授業を受けている。でも、生徒アンケートによると、授業以外での学習時間はゼロ、という人がかなりいるようです。だとすると、あまりにももったいないし、やり方として致命的なミスといってもいい。なぜなら、それでは勉強ができるように、わかるようには絶対にならないからです。授業中に真面目に取り組んで、一度はわかった、あるいは解けるようになったとします。でも、そのまま放置したら次の授業までにほぼ忘れてしまいます。記憶とはそういうものです。一度はわかった、解けた、覚えたとしても、その記憶は短期間で消えてしまう可能性が高いのです。だから、せっかくわかったその記憶を消さないための作業が必要になります。それが、復習といわれる作業です。そして、よりしっかり自分のものにしようとするには、定期的に復習する、つまりおさらいすることが必要になります。定期考査には、実はそのための仕掛けの意味合いもあります。定期考査前には、誰もが試験勉強をすると思いますが、日頃ちゃんと復習をしていれば、ある程度は記憶が残っていますから試験勉強もはかどります。そして、試験勉強が繰り返しの総復習の役割を果たしますから、記憶がしっかり定着して学習内容が自分のものになっていきます。ところが、日頃復習をしていないとほとんど内容を忘れてしまっていますから、試験勉強といいながら一から全てをやり直す作業になってしまいます。これではおさらいどころではありませんから、ひたすら覚えられる限りを暗記するしかなく、当然いい結果など期待できません。しかも、試験が終わればせっかく暗記したこともきれいさっぱり忘れてしまう。自分なりには頑張ったつもりなのに、何も自分のものにならない。これでは、もったいなさ過ぎます。

学習における「基本」は、一度学んだことをほったらかしにせず、その日のうちに復習、つまりおさらいする作業をおこなうことです。宿題があるときは、それをこなすことが復習という作業になっていたりしますが、復習のやり方がわからないという人は、すぐにでも教科ごとに担当の先生に教えてもらってください。

 

このように、スポーツでも学習でも何でも、ものごとのほとんどは一度やったくらいでは自分のものになどなりません。何度も反復しながら自分のものにしていくしかありません。「基本」に忠実に取り組む。できるところからでいいのでぜひ始めてみてください。そしてそれを継続させる。そうすれば、自分でも驚くほどの成果を、じきに実感できるようになると思います。

 

3年生の夏を過ぎると、卒業後の希望進路を実現するために多くの人が就職試験や入学試験で面接を受けることになると思います。面接の最大のポイントは、面接官に対して自分の思いを正しくしっかりと伝えることができるかどうかです。自分の思いを伝えるには、そもそもの大前提として伝える「思い」があることと、その思いを伝える力があること、その両方が必要です。「思い」とは、自分はどうしたいのか、どうなりたいのか、どうありたいのか、またそれはなぜなのか、といったものです。当然、自分の価値観、信念に基づいての「思い」であるはずですから、その人なりの価値観、信念がなければなりません。思いを伝える力は、対面で直接相手と意思疎通を図るということをたくさん経験する中で、徐々にその表現力が磨かれていきます。そのためには、常に自分の頭で考えること、そしていろいろな相手と積極的に対面でのコミュニケーションをとること、これがここでの「基本」といっていいと思います。この基本も大切に、今から繰り返し取り組んでみてほしいと思います。

 

来年度の自分の成長、変身を楽しみに、この休みを有意義に過ごしてください。

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【校長講話】第四十三回卒業証書授与式

正門横の梅の花も、満開を過ぎようとしています。やわらかな日差しに、いよいよ若い芽が膨らむ季節へと移ってまいりました。この春のよき日に、本校PTA会長様をはじめ、ご来賓の皆様と多数の保護者の皆様のご臨席を賜り、埼玉県立庄和高等学校 第四十三回卒業証書授与式をかくも盛大に挙行できますことに、深く感謝申し上げます。

 

172名の卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。卒業生並びに保護者の皆様に心よりお祝いを申し上げます。

皆さんが本校に入学した三年前は、新型コロナウイルス・パンデミックの影響が、まだまだ日々の生活に色濃く残っていました。体育祭は内容を縮小しての開催を余儀なくされ、文化祭も校内公開のみでの開催でした。それでも、皆さんが二年生になってからは、体育祭も従来と同じ規模で開催できるようになりましたし、文化祭にも一般のお客様をお迎えすることができるようになりました。秋には、一度は京を追われた足利尊氏が再上洛を果たしたルートをなぞるかのように、広島、神戸、京都を廻るという修学旅行で、魅力的で贅沢な四日間を仲間と共に満喫してもらうことができました。そして今年度。三年生となった皆さんは、それぞれの希望進路の実現に努力しながらも、最上級生として学校行事等で後輩たちに立派な範を示してくれました。特に、体育祭や文化祭では、それぞれが各々の役回りで大活躍する姿を見せてくれました。この三年間の高校生活には、皆さんそれぞれの様々なエピソードや思い出が詰まっていることでしょう。そんな皆さんも、今日でこの庄和高校を卒業し、次なるステージへと飛び立つことになります。

 

世の中は「激動の時代」です。変化が激しく、先行きが不確定で予測不能な社会です。日々の生活に直結する経済情勢の不透明感や、国のそして世界の安全保障に直結する国際情勢への危機感はもとより、気候変動をはじめとする自然環境の急激な変化への対応や、AIをはじめとするICT全盛時代における人間社会の在り方まで、様々な困難な課題を抱えた社会です。

 

そんな難しい世の中ではありますが、だからといって慌てたり焦ったりする必要はありません。皆さんにはこれからの長いキャリアの中で、じっくりと落ち着いて自分色に輝く人生を見つけていってもらいたいと願っています。そのための心構えとして、私からの最後のアドバイスを三つ送りたいと思います。

 

「激動の時代」だと、先ほど言いました。価値観の多様化した世の中です。多様な価値観を持つ人、集団、国家が、それぞれの価値観をただ主張して押し付けるだけでは、安心安全な社会の実現も、時代が求める新たなイノベーションを起こし得る社会の実現もありません。互いの主張にしっかり耳を傾け、率直な議論を尽くしてより良い合意点を見出していく、そんな地道な努力を重ねていくことが必要不可欠な時代です。皆が知恵を出し合い、多様な価値観を融合していかなければ、激動の時代には対応できない。それが、今の世の中です。

 

ところで、価値観とは世の中の事象に対する価値判断のこと、つまり人や組織が物事を判断するときの基準となる価値、正しいと信じている思い、信念といったものです。もし、この価値観を持っていないとしたらどうなるのでしょう。二十世紀の政治思想家であるハンナ・アーレントが、ヒットラーの登場を準備することになったヴァイマル期ドイツの大衆社会を分析した自身の著書で、次のようなことを述べているそうです。

 

ヴァイマル期ドイツの大衆社会における大衆は、何も信じていないから何でも信じてしまう。その一方で、騙されたと分かっても「そうだと思っていた」と言ってケロッとしている。

 

つまり、しっかりとした価値観を持っていないことで、プロパガンダをどんどん信じてしまう。そして、そもそも信念がないから騙されてもまったく平気でいるというのです。だとすると、例えば自己判断せずに多数派について勝ち馬に乗ろうとするような打算的で日和見的な空気感というのも、好ましくないばかりか、ときに大変危険であるということを認識しておかなければなりません。強調したいのは、自分なりの価値観をしっかり持つこと、そしてそれを信じるということが、何よりも大切であるということです。ですから、皆さんにまずは、こうなってほしい、こうあるべきだといった「思い」をしっかり持ってもらいたい。そして、その思いを持つためにも幅広い知識や感性を身に付けるという意味で、まずは気楽に幅広く本を読むことを強くお勧めします。さらに、「自分の頭で考える」ことを習慣づけること、「自分の頭で判断して行動する」ことが、何よりも大切だということを肝に銘じてもらえればと思います。それができないようでは、激動の時代には通用しないと心得ておきましょう。これが、一つ目のアドバイスです。

 

次に、タイパやコスパといった言葉が盛んに使われる状況についてです。今の世の中は、効率が優先され、無駄やリスクを回避するといった傾向が非常に強くなっています。その結果として、短期的な結果や目に見える成果ばかりが追い求められることになり、長期的な視野で物事を捉えたり考えたりすることは敬遠される傾向にあります。無駄になるかもしれないと思われることや寄り道、失敗、やり直しといったものは、ここでは悪者扱いです。

 

でも、冷静に考えてみてください。少なくとも、人が一人前に成長していく過程や有意義な人生を築いていこうとする営みに、マニュアルも近道もありません。時代が変わっても、その認識に変化はないはずです。十九世紀イギリスの歴史家にして批評家でもあるトーマス・カーライルは、「経験は最良の教師である。ただし授業料が高い!」という言葉を残しています。辛い経験、痛い経験、苦しい経験こそが、その人をたくましく育ててくれる最良の先生なのだというわけです。十七世紀の哲学者、フランシス・ベーコンも、「高みに上る人は、螺旋階段を使う」という言葉を残しています。人が成長する上でも、普遍的な価値ある成果を生み出す上でも、一直線に高みに上る道などはない。回り道や遠回りをしながらも、一歩一歩確実に螺旋階段を使って上っていってこそ、初めて高みにも上っていける、つまり成長していくことができるのだと言っているのです。

 

これから皆さんが更なる高みを目指して、社会で立派に活躍していくまでの道のりにおいて、効率ばかりを追い求めるなど愚かであるばかりでなく土台無理な話です。皆さんには、辛い、苦しい経験も、これから更に大きくたくましく成長する上では必要なことです。無駄や失敗、回り道を恐れてはいけません。やり直すことにも、来た道を戻ることにも、休んでみることにも、何ら負い目を感じる必要はないのです。様々な経験を積みながら、皆さん自身を磨いていってもらえればと思います。これが、二つ目のアドバイスです。

 

もう一つ。コロナ禍の影響が極めて大きいとはいえ、最近は対面でコミュニケーションをとる場面が減り、SNSを中心に文字での情報発信の占める割合が高くなっています。でも、まず皆さんにわかっておいてほしいのは、相手に気持ちを伝える、相手の気持ちを感じ取るというコミュニケーションが、人間にとっては根源的に大切なことだということです。対面でのコミュニケーションは、本来は言葉そのものだけではなくて、息遣いや声の強弱、身振りや手振りといったちょっとしたしぐさ、目線や表情など、全身での様々な表現を使ってなされます。もしそこで、互いの意思疎通が十分に図られなければ、健全で良好な関係は築くことも維持することもできません。ましてや、電話やS N Sのような声や文字だけ、つまり言葉だけでのコミュニケーションでは、対面と比べて意思疎通の難易度が格段に上がるということも認識しておかなければなりません。

 

ですから、コミュニケーションで相手に気持ちを伝えられるだけの表現力や感性、相手の気持ちをしっかり感じ取ることのできる力、読み取る力を将来にわたって磨き続けることが極めて重要です。まずは対面でのコミュニケーションを大切にして、それらの力をしっかりと磨いていってほしいと思います。これが、三つ目のアドバイスです。

 

最後になりますが、保護者の皆様におかれましては、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。重ねてお慶びを申し上げます。三年間の高校生活を全うし、心身ともに成長して社会に飛び立つ卒業生の皆さんの姿を前にして、とても頼もしく思います。

この三年間、本校教育活動に格別のご支援とご協力をいただき、誠にありがとうございました。至らぬ点やご心配をおかけしてしまった点もあったかと存じますが、暖かく見守っていただきましたことに心より感謝申し上げます。できますれば、今後とも庄和高校への変わらぬご支援を賜りますようお願い申し上げます。

 

結びに、第四十三回の卒業生全員が自分色に輝き、夢へと飛揚せんことを心より期待して、私の式辞といたします。

 

令和七年三月十一日

埼玉県立庄和高等学校長 水石明彦

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